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プロフィール
HN:
りんでぃ
HP:
性別:
女性
職業:
スウィング ダンス インストラクター
自己紹介:
 東京でスウィングダンスのインストラクターとしてレッスンやイベントを開催していました。2012年、結婚の為ボストン郊外のNorth Shore へ世界一臆病な黒猫 ミキティと共に移住。

 ここではアメリカでの生活、ダンス事情、ミキティの様子、ふと思ったことなどを綴っていきます。
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今日は、近所のチャイニーズレストラン「Gourmet Garden」にて食事をしました。

ここもお馴染みの寿司バーがついている中華料理店です。
レストランへ入ってみると、当たり前ですがスタッフは皆チャイニーズで、お寿司を握っている人の中にも日本人は一人もいませんでした。
うちの近所に、「アジア人がいるところがあったんだー」と思って周りを見回すと、お客さんは全員白人でした。(笑)


私達が頼んだのは、お寿司とポークのスペアリブ(チャイニーズ)です。



名前は忘れちゃったけど、ファンシーなアペタイザー





スパイシー イエローテイル巻き、ねぎハマチ巻き&握りのサバ



スパーシー イエローテイルは、味は美味しかったのですが本当のチリが沢山が入っていて、とってもスパイシーでした。
ねぎハマチ巻きは、ハマチのトロの部分を使っていて油っぽかったです。
サバは、アメリカのサバにしてはまあ悪くはなかったです。
あーぁ、美味しいお寿司が食べたいなぁ。





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今日は、Memorial Dayです。

メモリアル・デーとは、アメリカの戦没将兵追悼記念日の事で、今日はアメリカ全土で祝日です。
かつて、南北戦争の兵役中に亡くなった人のお墓を追悼の意をこめて飾ったことから、Decolation Day(デコレーション ・デー)と呼ばれていました。

メモリアル・デーの起源にはいくつかありますが、ペンシルバニア州のBoalsburg(ボールスバーグ)は「我らの街こそが、メモリアル・デー誕生の地」と言っており、1864年7月4日に地元の女性達が、兵士のお墓を装飾した記録が残っています。

公式には、北軍陸海軍人会のジョン・ローガン将軍(General John Logan)が1868年5月5日に「デコレーション・デーを毎年 国全体で祝うべきだ」と宣言し、同年5月30日に戦死した軍人や政府高官などが埋葬されているヴァージニア州のArlington National Cemetery(アーリントン国立墓地)で初めての式典が行われました。
1873年にニューヨークで初めて公式な祝日とされ、1890年までには北の州全てが祝日と制定しています。

南の州は、独自に南北戦争の戦没将兵追悼記念日を持っていた為、第1次世界大戦後に「戦没将兵追悼記念日は、南北戦争のみでなく、全ての戦争の戦死者を追悼する日」と変更されるまで、北の州と同日に祝うのを拒んでいました。
しかし、現在ではアメリカ全州で5月の最終月曜日に祝われています。

1915年、カナダ人の従軍医師John McCarae(ジョン・マクレー)は戦場に咲き誇る赤いヒナゲシの花を見て、『In Flanders Fields(ジョン・マクレー著 「フランダースの野に」)』の詩を作ります。
ケシの種は地に落ちても直ぐには咲かずに長い間地中で眠りにつき、何かの原因で土が起こされると芽を出すそうです。第一次世界大戦の戦場となっていたフランドルの野原は兵士によって踏み荒らされ、それが要因となりケシの種が長い眠りから目覚めました。戦場には白い十字架と対比して、まるで血の海のように真っ赤なヒナゲシの花が一面に咲いていたそうです。
1918年、この詩に感化されたジョージア州の大学教授であったMoina Micael (モイナ・マイケル)もまた、ケシの花を詩にこめました。


We cherish too, the Poppy red
That grows on fields where valor led,
It seems to signal to the skies
That blood of heroes never dies.



そして、モイナは戦時中の兵役で亡くなった人達を弔う為に、赤いヒナゲシの花を身につける事を思いつきます。自身で身につけるだけではなく、友人や同僚に売り、その売り上げ金を貧しい軍隊員へ寄付しました。

後にフランスのMadam Guerin(グェラン婦人)がアメリカを訪れた際にこの習慣を目にし、帰国後は赤いヒナゲシの花を手作りし、戦争の孤児や未亡人の為のチャリティーを行いました。
これが各国へ広まり、1922年のメモリアル・デーにVFW(Veterans of Foreign Wars of the United States - 海外戦争復員兵協会)が退役軍人の組織として初めて、国をあげてのチャリティーを行います。

モニアさんが亡くなった4年後の1948年、アメリカの郵政省は「第1次大戦戦没者ポピー基金」の創立者としての彼女の努力を称え、郵便切手を発行しました。





 



世界の至る所でメモリアル・デーを祝うようになったにも係わらず、近年のアメリカでは、メモリアル・デーの本当の目的は徐々に忘れ去られてしまっているそうです。
メモリアル・デーの正しい国旗の掲げ方(夜明けから正午までは半旗の位置、正午に一度国旗を完全に降ろし、その後は日没まで頂点に掲げる)を忘れてしまっている人が増え、パレードをする都市が減り、多くの人が兵役とは関係なしに全ての死者の為の日と思っていたり、またはお墓自体を放置してしまっているそうです。


このメモリアル・デーの本当の意味を忘れないようにと、2000年12月に「National Moment of Remembrance」という決議案が通り、どこにいても、何をしていても午後3時に1分間だけ黙祷をささげ、鎮魂ラッパの音に耳を傾けるように決まりました。

また人々がこの週末を単なる3日間のバケーションと捉えているため、ハワイ州のダニエル・イノウエ上院議員はメモリアル・デーを「5月の最終月曜日」から、本来の「5月30日」に戻すように提案しているそうです。

(「Memorial Day History」参照)



そんな私達はこの日に何をしたかというと、、、 何もしませんでした。(笑)
相方ペアレンツはパレードを見に行ったらしいのですが、相方はパレードがあること自体忘れていました。しかし相方ペアレンツいわく、このパレードも年々規模が小さくなっているそうです。
日本に長く居過ぎたアメリカ人と、アメリカの習慣に身を寄せていない日本人の私達。パレードも見に行かず、黙祷もせず、ラッパが鳴っていたかどうかさえ不明。家で、ゴロゴロと映画を見ていました。完全にダメダメですね。(笑)





 
今日は、3連休の中日。最近は雨が続いていたのですが、今日はピーカンに晴れて気温も28℃まで上がり、最高の行楽日和でした。

昨日に引き続きセミナーをスキップした相方。時間が出来たので、何か体を動かす事をしようとなりました。
そこで、アスレチックのできる公園に行こうと提案したのですが、なんとアメリカにはアスレチック的な用具のある公園がないということ。有料のアミューズメントパークでアスレチックができる所はあるのですが、誰でも気軽に行ける公園では、若者達が直ぐに用具を壊してしまう為、そういうものはないそうです。

そういえば相方が、「初めて日本に来た時に、公衆電話に電話帳があることにとても驚いた」と言っていた事を思いだしました。
日本では公衆電話に電話帳があることが普通なのですが、アメリカでは誰かが憂さ晴らしの為に直ぐにビリビリに破ってしまったり、何かの為に盗んでしまったりするので、置いていないそうです。こう考えると、やっぱり日本は平和ですよね。


アスレチックはないということで、隣町Salem にある「Salem Willow Park」に行きました。Willow = 柳の公園です。
今日の目的は、スピードミントンをすることです。
このスピードミントンは新しいスポーツで、テニスとバトミントンの間の子のような感じです。










ラケットはバドミントンラケットより太いですが、テニスラケットよりかは小さいです。
テニスのようなボールではなく、バドミントンのようなシャトルを使います。

バトミントンのシャトルは半球状のコルクに水鳥などの羽が付いています。反対にスピードミントンのシャトルはプラスチックでできていますが、バドミントンのシャトルよりも重さがあるためにスピードが出るのです。
専用のコートは不要で、ネットも要りません。シャトルの中にライトを入れられるようになっており、暗くなっても出来るので、とても便利です。

こんなどこでも出来るスピードミントン、相方は「子供達にとってとても良いだろう、スピードミントンのクラスでも出来れば良いな」と言って、約2,500円前後で購入しました。


 シャトルは、スピードが違う3種類




写真内に柳はありませんが、こんな感じの公園



学生時代にテニスを教えていた相方と小学校の時にバドミントンをしていた私。
お互いになかなかスピードミントンの感じがつかめず、ラリーは殆ど続かなかったです。(笑) うっているよりも、シャトルを追いかけている方が多かった私達には、とても良い運動になりました。

これは、どこでも簡単に出来るので、結構お勧めです!





 
昨日は、相方パパの82歳の誕生日でした。
相方たちのセミナーが終わり、Swampscottに帰ってきてから家族でバースデーディナーに行く予定だったのですが、なぜか相方達は3時頃に帰ってきてしまいました。

というのは、昨日はとても為になったセミナー。
今日は「不動産業に係われば、家を一軒売るとこれだけの収入になる。この計算で年間○軒売ると、年収は○○ドルになる」というような話だったとか。これから不動産を目指している人にとっては良いかもしれないけれども、既にその業界に入っている人にはとっても意味のない講習だったようです。
また、「うちの次の講習を受けて、うちの姉妹店になれば、年間これだけ儲かる。うちの姉妹店になるには、次のこの講習を終了しなければならない。次の講習の教材は本当なら○○ドルだけれども、今日申し込めば、○○ドル分のディスカウントをあげるよ」というような、自社のセールス的話になったので、帰ってきたそう。
このセールスマンは、セールストークの勉強が必要ですね。(笑)



という事で、夜は予定通りに相方パパのバースデーディナー。
相方家族が超お気に入りのレストラン「Reds」が二号店をオープンしたらしく、そこへ行くことにしました。
行ってみると、なんと50分待ち! 多くの人がここの開店を待ちに待っていて、やっと2週間前にオープンしたばかりらしく、しかも今週末はメモリアルデーの週末だからなのでしょうか、とても混んでいました。

待っている間に、45分くらい遅れてきた相方兄家族も到着し、用意されたテーブルは、私たちだけ周りからちょっと区切ってある特別席でした。

食事は、1号店と変わりなく美味しかったです。
そしてサイドオーダーでブロッコリーを頼んだのですが、出てきたものは、、、



思わず笑ってしまいました。
日本なら、ブロッコリーのツボミの部分(フサフサの部分)が茎から切ってあって出てきますよね?でも1株そのままなんですっ!この大胆さ、さすがアメリカですね。相方は、何がそんなに面白いの?と不思議な顔をしていました。



食事の後は、恒例の「バースデーソングを歌いながら、ケーキ登場」です。
相方ママが持参したケーキは、相方パパが好きなブルー。
そうなんです。アメリカのケーキは着色料たっぷりで、色々な色があるんです。


 











 


私達2人に相方ペアレンツ、相方の兄家族3人、そして相方パパの84歳のお姉さんと8人でお祝いしたバースデーでした。



 

 
今日から3日間、相方と相方兄は不動産のセミナーに行きます。
朝9時から夕方6時までのセミナーで、「今のビジネスをもっと繁盛させる方法」とかの講習を聞くそうです。

今日は金曜日で、講習はボストン市内である為に、お弁当を持って7時前にはうちを出て行きました。
帰って来た相方いわく、講習自体はとてもためになる話だったらしいのですが、周りに座っていた人がとても煩かったそうです。

講師が出席者に質問をすると、相方の真後ろに座っていた人は頑張って答えを言うのですが、全て見当違いの答えであり、講師が正解を言うと、「そう、そう、そうだよ。それが言いたかったんだよ。分かってる、分かってるー」と大きな声で独り言(皆に弁解?)を言うことを繰り返していたそう。
また斜め前に座っていた人は、講師が言った事を随時大きな声で繰り返していたそうです。
例えば、
「○が△だから、こうなるんです」→「あぁ、そうか。○が△だから、そうなるのかー」 
「でもこれが□だと、こうなってしまうんですね」→「そうか、□だとこうなるから、気をつけなきゃいけないんだねー」
という感じに。

これが講義中ずっと続いていた為に、かなーりイライラしたという事でした。
あはははーっ。よくいますよね、こういう人達。(笑)





今日は、2ヶ月ぶりくらいに車の運転をしました。

久しぶりに運転席に座った為、一瞬 「あれっ!?どうやって車を発車させるんだっけ?」と、おバカな事を思ってしまいました。脳が、かなり退化してますね。お恥ずかしい。

直ぐにギアをドライブに入れることを思い出し、発車。 座席やサイドミラーの位置は、車に記録させていた為にボタンを押すと自動で調節されるんですが、なんとなく右足に違和感を感じます。

ブレーキを踏む時はまだ良いのですが、アクセルを踏むときに、やけに遠いんです。
でもシートを前に引こうとすると、ハンドルが胸につっかえる。
「あれっ?あまり動かないから、足が縮んじゃったのかな?」と思ったのですが、もちろん縮むわけはないです。
そうなんです。 

車のハンドルやアクセルの位置が、アメリカ人仕様なんです!!!!!


足の長いアメリカ人が乗るアメリカ仕様の車は、アクセルレーターの位置が日本仕様の車よりも奥についているんです。
足の短い日本人(特に、その中でも短足派の私)にとっては、つま先でアクセルレーターを踏むか、胸とハンドルの距離が詰まったままで運転するか、まさに究極の選択です! 
これはいかもすると、死活問題ですよね。つま先でアクセルをずっと踏んでいると、足がつっちゃいます。足がつっちゃうとスピードのコントロールも出来ないし、ブレーキも上手く踏めません。

という事で、閉所恐怖症な私にはかなり苦しい事ですが、ハンドルが近すぎて胸がつっかえた様な状態で運転する事にしました。
そんな時、とても運転しにくそうにドライビングしている私に気づいた相方が一言。

「アクセルレーターの前後の位置も変えられるんだよ

なんでも足が届かない人用に、ボタンを押すとウィーっとアクセルレーターが前に突き出してくるとか。
早く言ってよーーーーーーー!!


長足派も短足派でも、万人の要望を聞き入れてくれる、お車様。 
貴方は、まさに聖徳太子です。





相方兄フィアンセの息子は8歳で、ヒップホップを習っています。相方兄フィアンセの姉の娘は3歳で、バレエを習っています。
今日は、その子達のダンス発表会を見に行きました。

会場は近所の高校。このダンススクールはヒップホップだけではなく、モダンダンスやクラシックバレエ、タップダンスも教えているそうで、今日の発表会は、その全部のダンスです。



 


まず始めは、高校生のダンスから。演目にはジャズダンスと書いてあったのですが、ジャズステップは一つもなく、モダンダンスでした。(笑)

その次からは年齢が小さい子達から、徐々に大きな子達の発表と移っていきます。
フィアンセ姉の娘の発表になりました。
3~4歳くらいの女の子たち10人のバレエ。バレエと言ってもまだ3歳なので、つま先で立ったりはしていなく、チュチュを着てプリンセスの様なティアラをつけたり、リボンをつけたりして、体を動かす程度のもの。でも、ものすごーく可愛かったです。
ですがフィアンセ姉の娘ちゃんは、始めから終わりまでずっと「パパー、パパー」と叫んで泣いていました。


右から2番目の子



見ている限りでは、年齢は3歳から小学校中学年くらいまで、+高校生という感じでした。
振り付けを覚えられらい位の小さい子達が踊るときには、その高校生たちが舞台の裾でお手本として踊り、それを子供たちが真似ると言うものでしたが、端っこに座っていた私達から、その裾の高校生が丸見え!子供達のために目を真ん丸く開いたり、表情を変えて踊っている高校生も可愛かったです。


そして、フィアンセ息子の出番。







 

なんと彼のグループは小学生年中くらいの子が9人いたのですが、男の子はフィアンセ息子だけでした。
ダンスレッスンの時には周りの女の子からモテモテで、ハーレム状態だったらしいです。(笑)

日本でも最近はダンスやバレエ教室が増え、通っている子供たちも多くなってきたと聞きますが、私が子供の頃はそれほど多くはありませんでした。
小さい頃からダンスに馴染みのある文化というのは、良いですね。





今日は、先日相方がミーティングに行ったNew School Swing のオーナーと私が会う日でした。
相方と彼が前回会った時には、お互いのスウィングの理論的考えやレッスンの進め方などのアイデア交換をし、有意義な時間を過ごせたようです。それにより、彼はもっと相方の考え方に興味を持ってくれたようでした。



今日は私が一緒に行き顔合わせをし、実際に踊ってみてより深く説明をするということが主体で、行ってみるとオーナーの他に、New School Swing のインストラクター3人も来ていました。

まずは、相方がオーナーに話した事をこの3人のインストラクターに口頭で説明し、その後はデモストをしながら説明しました。
3人のうちの1人は、私たちの「生徒が踊れるようにするというゴールへのアプローチの仕方」にとても興味を持ち、エキサイティングし、もっと知りたいと言っています。もう一人は、私たちの考え方に賛成はするけれども、今までの方法と全く違っているので戸惑っているよう。そして最後の一人は、「今でだって踊れているのにわざわざ変える必要はない。しかも、あなた達のアプローチの仕方には全く賛成しない」とのことでした。

けれども、反対意見が出る事には慣れている私達。
私たちのアプローチの仕方が今までの長い間行われてきた方法からかけ離れている為に、東京でも始めは異端児的な存在でした。(笑) 他国で教えたときも、生徒達は始めは戸惑っており、どうしても耳に聞き入れようとしない人もいました。
しかしながら東京でも他国でもだんだんとその人達の意見が代わっていき、もっと知りたいという人が増え、ダンサー達の踊り方が変わっていき、周りのインストラクターたちの教え方が代わっていき、気が付くと最終的には多くの人が同じ方向を向いていました。

もちろん、同じスウィングダンスでも踊り方や教え方、アプローチの仕方は千種万別です。それで良いと思います。
十人十色であり、それが個性となるので、私たちのアプローチの仕方を強請するつもりは全くありません。
今回もあくまでも、『違う意見の交換』という機会です。


その意見交換会の後は、「スウィング道場」という練習会を手伝ってきました。
日本にいた時に、千葉で古武道の道場長を勤めていた相方。「それなのに何で、自分達のスクールを開校するときに『スウィング道場』という名前が思いつかなかったんだ」と、悔しがっていました。(笑)

このスウィング道場は、入場料無しの誰でも参加できるものです。
主催者は音楽をずっと流し続け、来た人は勝手に踊り、その中を数名のインストラクターがウロウロしているというものでした。
練習会と言っても誰でも教えられるものではなく、インストラクター以外は教えません。困っている人がいたらインストラクター側から声をかけたり、質問があったらダンサーが自分でインストラクターを捕まえて聞くというものでした。


いつもは、誰がインストラクターか分かるようにお揃いのTシャツを着ているらしいのですが、今日は忘れてしまった為に、誰が誰だかよく分からない状況。もちろん私達がインストラクターという事を知っている人があまりいない為に、こちらから声をかけます。

一人で回っていた私は声をかけても「あんた誰!?」という目で見られ、教えようと思っても私の英語を理解してくれません。(涙) 
7ヶ月のブランクはとても大きかったようです。しかも足がないため一人で出かけるこのない私は、こちらに引っ越してきてからの日常で英語で1対1の会話は、せいぜい相方くらい。それ以外の人と話す時には大抵相方が居るので、どうしても頼ってしまっています。相手が理解してくれないときには、相方が通訳してくれます。アメリカに住んでいるのに、私の英語は下がる一方。かなりヤバイです。

私の英語の理解を生徒達が苦労しているのに加え、日本にいた時は「決してダンスフロアでは教えない」ということがエチケットだった私達。
「習いたい人はレッスンを受けに来る。イベントに踊りに来る人は、習うことが目的ではなく、楽しく踊ることが目的。だからソーシャルダンスで教えることは、ありがた迷惑と一緒。相手から教えて欲しいと言われない限り、教えない。」と言うのが、東京のみでなく、またスウィングだけではなく、世界共通のダンス全般のエチケットです。

しかしこの場は、「ソーシャルの場面で教えますよ」というものです。
もちろん、教えて良いのです!その為に、彼らは来ているのです。
しかし、それに慣れていない私はどうも自分から「教えましょうか?」」と声をかけることに躊躇してしまいます。
という事で、結局私は相方の後ろをくっついて回りました。情けない、、、。


数日後、オーナーから連絡が来ました。
「君たちの話がもっと聞きたい。もしダンス無しが良かったら、うちに来てもらって話すだけでも良いし、どこかでご飯を一緒に食べに行くだけでも良いよ。とにかく今回の事に懲りずに、次の機会を作って欲しい」とのことでした。
そして反対をしていたインストラクターもあれから連絡が来て、「彼は、とても良いインストラクターだと認めるよ」と言ってきたという事。これは嬉しいお知らせです。

私たちの返事はもちろんイエス。
ボストンのスウィング界は、これからどうなる事でしょうか。楽しみです。




ビスケットが大好きな相方。

ビスケットと言ってもクッキーの仲間のビスケットではなく、KFCの様なビスケット。
こちらではスーパーで普通に売っていて、それを毎日1~2個は食べています。決して高いものではないのですが、毎日食べると重みます。そして、「アメリカの既成食品には何が入っているか分からない」と、とても疑いの目を持っている私。
その為、自分で作ることにしました。


インターネットでレシピを検索すると、ケンタッキーフライドチキンのビスケットのレシピとそれを日本用に翻訳しているサイトを発見。
KFCは、レシピを公表してもお客の減少には繋がらないと確信しているんでしょうね。
ファーストフードは、「自分でも作れるけれども、作る手間をかけずに即食べれる事」がメリットなので、レシピを公開しても自分たちで作らない人には影響がないという事なのでしょうか??


KFCサイト内のレシピ
(英語)


それを翻訳したサイト


という事で、さっそく作ってみました。

うちには麺棒も型抜きもないので、適当に手で千切って丸めました。
とっても簡単で、そしてちゃんとKFC ビスケットの味もしました。
自分で塩や砂糖の加減も出来るし、オールナチュラルで美味しかったです!
これはお勧めです!!




もうちょっと焦げ目があっても良かったかな?





お皿に乗せると、ちょっとは見た目が良いかも





 
今日は、相方の高校からの友人家族が遊びに来ました。
可愛いお嬢ちゃまは、1歳半だそうです。

言葉を覚え、お喋りになってきた彼女の今の流行言葉は、「No way! (ノー ウェイ)」だそう。
まっさかー!とか、 あり得ないー!などという意味。

「お菓子食べる?」 - 「No way!」
「うちには猫ちゃんがいるんだよ」 - 「No way!」
「ほーら、ボールをこっちに投げてー」 - 「No way!」
「ママは今、トイレに入ってるからちょっと待っててね」 - 「No way!」

これを天使のような笑顔で言われるので、こちらも顔がほころびます。
大人になったら、殿方キラーになるんでしょうね。





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