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プロフィール
HN:
りんでぃ
HP:
性別:
女性
職業:
スウィング ダンス インストラクター
自己紹介:
 東京でスウィングダンスのインストラクターとしてレッスンやイベントを開催していました。2012年、結婚の為ボストン郊外のNorth Shore へ世界一臆病な黒猫 ミキティと共に移住。

 ここではアメリカでの生活、ダンス事情、ミキティの様子、ふと思ったことなどを綴っていきます。
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今日は、Memorial Dayです。

メモリアル・デーとは、アメリカの戦没将兵追悼記念日の事で、今日はアメリカ全土で祝日です。
かつて、南北戦争の兵役中に亡くなった人のお墓を追悼の意をこめて飾ったことから、Decolation Day(デコレーション ・デー)と呼ばれていました。

メモリアル・デーの起源にはいくつかありますが、ペンシルバニア州のBoalsburg(ボールスバーグ)は「我らの街こそが、メモリアル・デー誕生の地」と言っており、1864年7月4日に地元の女性達が、兵士のお墓を装飾した記録が残っています。

公式には、北軍陸海軍人会のジョン・ローガン将軍(General John Logan)が1868年5月5日に「デコレーション・デーを毎年 国全体で祝うべきだ」と宣言し、同年5月30日に戦死した軍人や政府高官などが埋葬されているヴァージニア州のArlington National Cemetery(アーリントン国立墓地)で初めての式典が行われました。
1873年にニューヨークで初めて公式な祝日とされ、1890年までには北の州全てが祝日と制定しています。

南の州は、独自に南北戦争の戦没将兵追悼記念日を持っていた為、第1次世界大戦後に「戦没将兵追悼記念日は、南北戦争のみでなく、全ての戦争の戦死者を追悼する日」と変更されるまで、北の州と同日に祝うのを拒んでいました。
しかし、現在ではアメリカ全州で5月の最終月曜日に祝われています。

1915年、カナダ人の従軍医師John McCarae(ジョン・マクレー)は戦場に咲き誇る赤いヒナゲシの花を見て、『In Flanders Fields(ジョン・マクレー著 「フランダースの野に」)』の詩を作ります。
ケシの種は地に落ちても直ぐには咲かずに長い間地中で眠りにつき、何かの原因で土が起こされると芽を出すそうです。第一次世界大戦の戦場となっていたフランドルの野原は兵士によって踏み荒らされ、それが要因となりケシの種が長い眠りから目覚めました。戦場には白い十字架と対比して、まるで血の海のように真っ赤なヒナゲシの花が一面に咲いていたそうです。
1918年、この詩に感化されたジョージア州の大学教授であったMoina Micael (モイナ・マイケル)もまた、ケシの花を詩にこめました。


We cherish too, the Poppy red
That grows on fields where valor led,
It seems to signal to the skies
That blood of heroes never dies.



そして、モイナは戦時中の兵役で亡くなった人達を弔う為に、赤いヒナゲシの花を身につける事を思いつきます。自身で身につけるだけではなく、友人や同僚に売り、その売り上げ金を貧しい軍隊員へ寄付しました。

後にフランスのMadam Guerin(グェラン婦人)がアメリカを訪れた際にこの習慣を目にし、帰国後は赤いヒナゲシの花を手作りし、戦争の孤児や未亡人の為のチャリティーを行いました。
これが各国へ広まり、1922年のメモリアル・デーにVFW(Veterans of Foreign Wars of the United States - 海外戦争復員兵協会)が退役軍人の組織として初めて、国をあげてのチャリティーを行います。

モニアさんが亡くなった4年後の1948年、アメリカの郵政省は「第1次大戦戦没者ポピー基金」の創立者としての彼女の努力を称え、郵便切手を発行しました。





 



世界の至る所でメモリアル・デーを祝うようになったにも係わらず、近年のアメリカでは、メモリアル・デーの本当の目的は徐々に忘れ去られてしまっているそうです。
メモリアル・デーの正しい国旗の掲げ方(夜明けから正午までは半旗の位置、正午に一度国旗を完全に降ろし、その後は日没まで頂点に掲げる)を忘れてしまっている人が増え、パレードをする都市が減り、多くの人が兵役とは関係なしに全ての死者の為の日と思っていたり、またはお墓自体を放置してしまっているそうです。


このメモリアル・デーの本当の意味を忘れないようにと、2000年12月に「National Moment of Remembrance」という決議案が通り、どこにいても、何をしていても午後3時に1分間だけ黙祷をささげ、鎮魂ラッパの音に耳を傾けるように決まりました。

また人々がこの週末を単なる3日間のバケーションと捉えているため、ハワイ州のダニエル・イノウエ上院議員はメモリアル・デーを「5月の最終月曜日」から、本来の「5月30日」に戻すように提案しているそうです。

(「Memorial Day History」参照)



そんな私達はこの日に何をしたかというと、、、 何もしませんでした。(笑)
相方ペアレンツはパレードを見に行ったらしいのですが、相方はパレードがあること自体忘れていました。しかし相方ペアレンツいわく、このパレードも年々規模が小さくなっているそうです。
日本に長く居過ぎたアメリカ人と、アメリカの習慣に身を寄せていない日本人の私達。パレードも見に行かず、黙祷もせず、ラッパが鳴っていたかどうかさえ不明。家で、ゴロゴロと映画を見ていました。完全にダメダメですね。(笑)





 
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