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りんでぃ
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女性
職業:
スウィング ダンス インストラクター
自己紹介:
 東京でスウィングダンスのインストラクターとしてレッスンやイベントを開催していました。2012年、結婚の為ボストン郊外のNorth Shore へ世界一臆病な黒猫 ミキティと共に移住。

 ここではアメリカでの生活、ダンス事情、ミキティの様子、ふと思ったことなどを綴っていきます。
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今日は、フェイスブックで「いただきます」という言葉について、とても素敵な記事を読みました。
ご本人の了解が得られたので、転載させていただきます。
ちょっと長めですが、本当に良いお話なので、ぜひ頑張って読んでください。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓


【いのちをいただく】

「いただきます」って、日本ならではの言葉なんだそうです。

だから、この言葉を知らない外国の人は、
「いただきますって、何ですか?」
「それは、神に対する祈りですか?」 と聞いてきます。

もしもですよ、みなさんが子どもたちに、
「なんで食べる前に『いただきます』 って言わなきゃいけないの?」って聞かれたとしたら、 どう答えますか?

たぶんですね、みなさんは、
「それはね、命をいただく動植物、食料を生産してくれた人、そして調理してくれた人に感謝するためなんだよ」
って答えるんじゃないかな思うんですけど、子どもたちにその話をして、はたしてどれくらいの子どもたちがから納得するでしょうか?

よく考えてみるとですよ、子どもたちはおそらく似たようなことを 何回も聞いているはずなんです。
でも、残念ながら、それが多くの子どもたちの心に響いていないのが現状ではないでしょうか?

それどころか、給食指導の時間にですよ、
「ちゃんと、いただきますを言わんね!」
「ごちそうさまは?」
「はい、合掌していない人がいるからやり直し!」
なんて、つい言ってしまうことってありますよね?

中学2年生の理科で、「動物の生活と種類」という単元がありまして、その中で動物と植物の違いについて学習します。

動物と植物の一番の違いは何か?

それはですね、
「動物は、食べるために動かなければならない。 植物は、食べる必要がないので動かなくていい」 です。
植物は動けない、じゃないんです。動かなくていいんです。
なぜか?

生きていくための栄養を、自分の力で作り出すことができるからです。私たち動物にはそれができません。
だから、どうしても他の生き物を「食べる」必要がある。

動物だろうが植物だろうが、どんな生き物であっても、自分の命の限り精いっぱい生き続けたい、そう願って生きているんだと私は思います。

私たち動物は、そんな他の生き物の「いのち」を奪わなければ、一時も生きていくことができない、悲しい宿命を背負った生き物なんです。

食を考えることは、命について考えることです。

このことを、どうやって子どもの心に響かせるのか、そして、どうやって子どもの心に火を灯していくのか、それが、きっとプロとしての教師の仕事なんだろうと思うんです。

一つは、九州大学大学院助教授の佐藤剛史先生が書いた、「自炊男子~ 『人生で大切なこと』が見つかる物語」の中に出てくるお話です。

-------------------

「いただきます」「ごちそうさま」を、なぜ言わなければならないか分かりますか?

「いただきます」の意味の一つは、「作ってくれた人の命をいただく」ということです。

命とは時間です。
ある人が80歳で亡くなったとしましょう。ということは、80年間という時間がその人の命だということです。

今朝、みなさんのお母さんは、30分かけて朝ご飯を作りました。今日の夕食、お母さんは、1時間かけて夕ご飯を作ります。その朝ご飯にはお母さんの30分ぶんの命、夕ご飯には1時間分の命が込められているのです。

みなさんが生まれてから今日までの間、お母さん、お父さんは、自分の命の時間を使って、みなさんを食べさせてきたのです。そして、これから親元を離れるまで、ずっとみなさんは、お母さん、お父さんの命の時間を食べていくわけです。

「いただきます」の意味の一つは、「作ってくれた人の命をいただく」ということです。
食べ物を粗末にすることは、作ってくれた人の命を粗末にすることです。

心を込めて、「いただきます」 「ごちそうさま」 を言いましょう。
食べ物を作ってくれた人に、感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。

-------------------


そしてもう一つは、内田産婦人科医院の内田美智子先生が書いた、「いのちをいただく」という絵本のもとになったお話です。

この絵本、クラスの子どもたちや、ご自分のお子さんにぜひ読み聞かせてあげてほしい、そんな願いを込めてご紹介しますね。

-------------------

坂本さんは、食肉加工センターに勤めています。
牛を殺して、お肉にする仕事です。

坂本さんはこの仕事がずっといやでした。

牛を殺す人がいなければ、牛の肉はだれも食べられません。だから、大切な仕事だということは分かっています。
でも、殺される牛と目が合うたびに、仕事がいやになるのです。

「いつかやめよう、いつかやめよう」と思いながら、仕事をしていました。

坂本さんの子どもは、小学3年生です。しのぶ君という男の子です。

ある日、小学校から授業参観のお知らせがありました。
これまでは、しのぶ君のお母さんが行っていたのですが、その日は用事があってどうしても行けませんでした。そこで、坂本さんが授業参観に行くことになりました。

いよいよ、参観日がやってきました。
「しのぶは、ちゃんと手を挙げて発表できるやろうか?」
坂本さんは、期待と少しの心配を抱きながら、小学校の門をくぐりました。

授業参観は、社会科の「いろんな仕事」という授業でした。
先生が子どもたち一人一人に
「お父さん、お母さんの仕事を知っていますか?」
「どんな仕事ですか?」 と尋ねていました。

しのぶ君の番になりました。
坂本さんはしのぶ君に、自分の仕事についてあまり話したことがありませんでした。

何と答えるのだろうと不安に思っていると、しのぶ君は、小さい声で言いました。
「肉屋です。普通の肉屋です」
坂本さんは、「そうかぁ」 とつぶやきました。

坂本さんが家で新聞を読んでいると、しのぶ君が帰ってきました。
「お父さんが仕事ばせんと、みんなが肉ば食べれんとやね」

何で急にそんなことを言い出すのだろうと、坂本さんが不思議に思って聞き返すと、しのぶ君は学校の帰り際に、担任の先生に呼び止められてこう言われたというのです。

「坂本、何でお父さんの仕事ば普通の肉屋て言うたとや?」
「ばってん、カッコわるかもん。一回、見たことがあるばってん、血のいっぱいついてからカッコわるかもん…」
「坂本、おまえのお父さんが仕事ばせんと、先生も、坂本も、校長先生も、会社の社長さんも肉ば食べれんとぞ。すごか仕事ぞ」

しのぶ君はそこまで一気にしゃべり、最後に、
「お父さんの仕事はすごかとやね!」 と言いました。
その言葉を聞いて、坂本さんはもう少し仕事を続けようかなと思いました。

ある日、一日の仕事を終えた坂本さんが事務所で休んでいると、一台のトラックが食肉加工センターの門をくぐってきました。荷台には、明日、殺される予定の牛が積まれていました。

坂本さんが「明日の牛ばいねぇ…」と思って見ていると、助手席から十歳くらいの女の子が飛び降りてきました。
そして、そのままトラックの荷台に上がっていきました。

坂本さんは「危なかねぇ…」と思って見ていましたが、しばらくたっても降りてこないので、心配になってトラックに近づいてみました。
すると、女の子が牛に話しかけている声が聞こえてきました。

「みいちゃん、ごめんねぇ。 みいちゃん、ごめんねぇ…」

「みいちゃんが肉にならんとお正月が来んて、じいちゃんの言わすけん。みいちゃんば売らんと、みんなが暮らせんけん。 ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ…」 そう言いながら、一生懸命に牛のお腹をさすっていました。

坂本さんは「見なきゃよかった」 と思いました。
トラックの運転席から女の子のおじいちゃんが降りてきて、坂本さんに頭を下げました。

「坂本さん、みいちゃんは、この子と一緒に育ちました。だけん、ずっとうちに置いとくつもりでした。ばってん、みいちゃんば売らんと、この子にお年玉も、クリスマスプレゼントも買ってやれんとです。明日は、どうぞ、よろしくお願いします」

坂本さんは、「この仕事はやめよう。もうできん」 と思いました。
そして思いついたのが、明日の仕事を休むことでした。
坂本さんは、家に帰り、みいちゃんと女の子のことをしのぶ君に話しました。

「お父さんは、みいちゃんを殺すことはできんけん、明日は仕事を休もうと思っとる…」

そう言うと、しのぶ君は「ふ~ん…」と言ってしばらく黙った後、テレビに目を移しました。
その夜、いつものように坂本さんは、しのぶ君と一緒にお風呂に入りました。
しのぶ君は坂本さんの背中を流しながら言いました。

「お父さん、 やっぱりお父さんがしてやった方がよかよ。心の無か人がしたら、牛が苦しむけん。お父さんがしてやんなっせ」
坂本さんは黙って聞いていましたが、それでも決心は変わりませんでした。

朝、坂本さんは、しのぶ君が小学校に出かけるのを待っていました。
「行ってくるけん!」 元気な声と扉を開ける音がしました。

その直後、玄関がまた開いて「お父さん、今日は行かなんよ!わかった?」 と、しのぶ君が叫んでいます。
坂本さんは思わず、「おう、わかった」と答えてしまいました。
その声を聞くとしのぶ君は 「行ってきまーす!」 と走って学校に向かいました。
「あ~あ、子どもと約束したけん、行かなねぇ」 と、お母さん。
坂本さんは、渋い顔をしながら仕事へと出かけました。

会社に着いても、気が重くて仕方がありませんでした。
少し早く着いたので、みいちゃんをそっと見に行きました。

牛舎に入ると、みいちゃんは、他の牛がするように角を下げて、坂本さんを威嚇するようなポーズをとりました。
坂本さんは迷いましたが、そっと手を出すと、最初は威嚇していたみいちゃんも、しだいに坂本さんの手をくんくんと嗅ぐようになりました。

坂本さんが、
「みいちゃん、ごめんよう。みいちゃんが肉にならんと、みんなが困るけん。 ごめんよう…」 と言うと、みいちゃんは、坂本さんに首をこすり付けてきました。

それから、坂本さんは、女の子がしていたようにお腹をさすりながら、
「みいちゃん、じっとしとけよ。動いたら急所をはずすけん、そしたら余計苦しかけん、じっとしとけよ。じっとしとけよ」 と言い聞かせました。

牛を殺し解体する、その時が来ました。

坂本さんが、
「じっとしとけよ、みいちゃんじっとしとけよ」 と言うと、みいちゃんは、ちょっとも動きませんでした。
その時、みいちゃんの大きな目から涙がこぼれ落ちてきました。
坂本さんは、牛が泣くのを初めて見ました。

そして、坂本さんがピストルのような道具を頭に当てると、みいちゃんは崩れるように倒れ、少しも動くことはありませんでした。
普通は、牛が何かを察して頭を振るので急所から少しずれることがよくあり、倒れた後に大暴れするそうです。

次の日、おじいちゃんが食肉加工センターにやって来て、坂本さんにしみじみとこう言いました。

「坂本さんありがとうございました。昨日、あの肉は少しもらって帰って、みんなで食べました。孫は泣いて食べませんでしたが、『みいちゃんのおかげでみんなが暮らせるとぞ。食べてやれ。みいちゃんにありがとうと言うて食べてやらな、みいちゃんがかわいそうかろ?食べてやんなっせ。』って言うたら、孫は泣きながら、『みいちゃんいただきます。おいしかぁ、おいしかぁ。』 言うて食べました。 ありがとうございました。」

坂本さんは、もう少しこの仕事を続けようと思いました。


-------------------

ある学校で、保護者の一人から、
「給食費を払っているのに、『いただきます』と子どもに言わせるのはおかしい」 というクレームがあった、との話を聞いたことがあります。

「なんという常識のない保護者なんだ!」 と片付けるのは簡単です。
でも、もしもこの保護者が、この話を知っていたとしたら、どうだったでしょう?

現在の食生活は、「命をいただく」というイメージからずいぶん遠くなってきています。

そしてその結果、食べ物が粗末に扱われて、日本での一年間の食べ残し食品は、発展途上国での、何と3300万人分の年間食料に相当するといいます。

私たちは奪われた命の意味も考えずに、毎日肉を食べています。
動物は、みんな自分の食べ物を自分で獲って生きているのに、人間だけが、自分で直接手を汚すこともなく、坂本さんのような方々の思いも知らないまま、肉を食べています。
動物だろうが植物だろうが、どんな生き物であっても、自分の命の限り精いっぱい生き続けたい、そう願って生きているんだと私は思います。

命をいただくことに対しての「思い」。

お肉を食べて 「あ~、美味しい。ありがとう」
お野菜を食べて 「あ~、美味しい。ありがとう」
そこに生まれる思いはどんな思いでしょう?

お肉を食べて 「うぇ~、マズッ!」
お野菜を食べて 「うぇ~、マズッ!」
そこに生まれる思いはどんな思いでしょう?

食べ物をいただくとき、そこに尊い命があったことを忘れずに、その命を敬い、感謝の言葉をかけてあげられる人に育ちましょう。

今日もまた、食べられることへの感謝の言葉、「ありがとうございます。感謝します。いただきます。」
食べているときの「美味しい!」という言葉。

そして食べ終わった後の、「あ~、美味しかった。ありがとうございます。ご馳走さまでした。」

という「食べられたこと」への感謝の言葉をかけてあげましょう。
もちろん、食べ残しをせずに。

食べ物が、あなたの体を作ります。
あなたの体に姿を変えて、あなたの中で生き続けます。
そして、体の中からあなたを精いっぱい応援してくれています。

あなたができる最高の恩返しは、たくさんの生き物たちから命のバトンを託されたあなたの命を、いっぱいに輝かせること。

喜びに満ちた人生を過ごすこと。

それが、あなたと共に生きているたくさんの命たちが、いちばん喜ぶことなんです。
みんなの分まで、命いっぱいに輝きましょう。

…これが、私が教師として、プロとして、目の前にいる子どもたちやその保護者に伝え続けていきたいメッセージです。




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昨日から、何故か「黒猫のタンゴ」の歌が頭から離れず。
しかもイタリア語バージョン。

添乗員時代に、イタリア添乗の移動バスの中でかけようと、カンツォーネの曲を集めたCDを作りました。
その曲集めの時に見つけたのが、黒猫のタンゴのイタリア語バージョン。

実はこの歌、元々はイタリアの童謡。
原題を、「"Volevo un gatto nero" (ヴォレヴォ・ウン・ガト・ネーロ、 意味:黒いネコがほしかった)」といい、それを日本語に訳したものなのです。
オリジナルのイタリアバージョンでも、小さな子供(こちらは女の子)が唄い、とても可愛らしいです。


オリジナル版


 
何故か私は、日本語バージョンよりもオリジナルバージョンの方が頭から離れません。(笑)




 
今日のブログは、かなり長くなってしまいました。スミマセン、、、。


先日、日本の友人と長々と子育てについて語り合ってしまいました。
子育てに行き詰ったり、疑問を感じたりしていた友人。

私自身には子供はいないですが、自分の周りや”子供に英語を教える会社”で気づいた日本の子育てとアメリカの子育ての違いや、そして人から聞いた話しやテレビで見たことなど、気づいたら2時間近くも話していました。


まずは私が気づいた事、感じた事。
よく日本人は自分の主張をしないと言われますが、その理由は自己主張をしないのが美徳とされてきた歴史があります。しかしそれだけではなく、ある環境が”シャイな日本人形成を手伝っている”とも言えると思います。

日本では、大人が小さい子供に話しかけると、子供は恥ずかしがってモジモジしている事が多いです。すると大抵の大人が、「○○ちゃんは、○○だよね」「今日は○○してきたんだよね」と、代わりに答えてくれます。

これがアメリカの場合、大人が子供に何かを聞くと本人がきちんと答えるまで待っています。
子供がシャイでモジモジしていたり、答えがいまいち分からない時でも、「あなたが聞かれてるんだから、自分できちんと答えなさい」「答えが分からない時は、分からないとハッキリ言いなさい」と、子供が答えるまでしつこい位に(笑)問いだたし、何かを言うまでひたすら待ちます。決してその場をやり過ごそうとはさせないのです。
もちろんアメリカ全ての家庭がそういうわけではないと思います。けれども、私の友人や周りの家庭は皆そうですし、テレビの中でもそうですので、比較的多くの家庭が”子供にきちんと発言させる”と言えると思います。

学校の授業でも討論のクラスがあり、自分の考えを言い合う授業があります。
これらの理由により、アメリカ人は「Yes」「No」、または自分の意見をはっきり言う訓練が子供の時から出来ているんですよね。
またマサチューセッツ州では、いかなる時でも12歳以下の子供を家に一人にする事は法律で禁止されています。その為に、ベビーシッターの習慣も培われてきました。それにより、子供は小さい時から他人と接する事に慣れてくるのです。
決してアメリカの子育てが最良と言うのではありません。時々、自己主張が強すぎる時はありますが、、、。(苦笑)
全てをそっくりそのままとまでは言いませんが、良い所はどんどん見習うべきだと思います。


日本では、子供の答えを待っていると会話が続かないという理由や、子供だからそこまで考えられない、または単にシャイな子供の為を思って親が変わりに答えてしまう。もしかしたら、周りの大人が単にお喋り好きなのかもしれません。
子供は自分が何も言わなくても大人が答えてくれるので、どんどん何も言わなくなります。すると、何も言わなくても事が解決してしまう事を子供は無意識に学ぶと思うんです。
けれども大人は、「ちゃんとものをハッキリ言いなさい」や「自分の事は自分でやりなさい」と子供に言いながら、子供に聞かれた質問を、子供が考える隙もなく答えてしまうのです。これでは子供が自分で考える力、自分で事を伝えようとする力、コミュニケーション能力が育っていかないですよね。
こういう悪循環によって、「何も言わずに事が過ぎ去るのを待つ→自己主張をしなくなる→自己主張が”出来なくなる”」という風になるのではないかなと思います。

日本人同士で生活していると、以心伝心や相手が何も言わなくても相手の気持ちを汲み取ると言う習慣があるために、私生活で困る事はさほどないかもしれませんが、仕事の商談などではそうはいきません。こちらの要望をハッキリ伝えないと、商談がまとまらなかったり、勘違いのままに進んでしまいます。
また英語を必須教科に入れ、国際化を目指している日本では、これから外国の人と接する事も多くなります。この時に自己主張ができないと、全く何も始まりません。
コミュニケーションの手段である英語を学ぶ事も大事だとは思いますが、それと同時にコミュニケーション使用とする気持ちを育てる事も必要ではないでしょうか?

自分が変わりに答えるのではなく、子供に発言させる、これは幼児教育の中でも結構重要な事だと思います。



そしてこちらに帰ってきた直後に、友人がフェイスブックに載せていた記事:

「子どもたちはこうして生き方を学びます。

- けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
- とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
- 不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
- 「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
- 子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
- 親が他人をうらやんでばかりいると、子どもも人をうらむようになる
- 叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
- 励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
- 広い心で接すれば、キレる子にはならない
- 誉めてあげれば、子どもは明るい子に育つ
- 愛してあげれば、子どもは人を愛することを学ぶ
- 認めてあげれば、子どもは自分が好きになる
- 見つめてあげれば、子どもは頑張り屋になる
- 分かち合うことを教えれば、子どもは思いやりを学ぶ
- 親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
- 子どもに公平であれば、子どもは、正義感のなる子に育つ
- やさしく思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
- 守ってあげれば、子どもは、強いに育つ
- 和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

アメリカインディアンの教え
ドロシー・ロー・ノルト/詩(ベストセラー「子どもが育つ魔法の言葉」の著者) 」



これを語り合っていた友人に送ったら、友人が以前住んでいた市役所の子育て支援課でも、このドロシー・ロー・ノルトさんの記事が置いてあったとか。因みに以下は、スウェーデンの中学校教科書に載っているのだそうです。

「『子ども』

批判ばかりされた子供は非難する事を覚える。
殴られて大きくなった子供は力に頼る事を覚える。
笑いものにされた子供はものを言わずにいる事を覚える。
皮肉にさらされた子供は鈍い良心の持ち主となる。

しかし、
激励を受けた子供は自信を覚える。
寛容に出会った子供は忍耐を覚える。
賞賛を受けた子供は評価する事を覚える。
フェアプレーを経験した子供は公正を覚える。
友情を知る子供は親切を覚える。
安心を経験した子供は信頼を覚える。
可愛がられ抱きしめられた子供は世界中の愛情を感じ取る事を覚える。

ドロシー・ロー・ノルト」

上記の2つは、日本でも妊娠した時に行くママさん学級などで親に一枚、祖父母に一枚、そして地域の観覧版などで近所の人に一枚ずつ配れば、良いなと思いました。
子供は、なんでも親の前をしますからね~。(笑) ← 「子供は親の背中を見て育つ」 「甥っ子の運動会」 参照

子供の将来を考えて、しつけを厳しくしたり、塾に行かせたりと幸せになる要素を養わせるのではなく、どんなに小さなことでも嬉しくなり、幸せに感じる感性を養ってあげるのが、子供の将来の幸せにつながるのではないでしょうか?
どんなに幸せに思える要素が目の前にあっても、本人がそれを幸せと思わない限り、意味がないですからね。

子育てをした事がない私が生意気な事を言っていますが、日々の生活中で小さなたくさんの幸せを見つける能力があれば、その子供はいつでも幸せになると思います。




 
アメリカで使っている携帯電話は、iPhone。
日本でも使えるのかな~と思いきや、当たり前ですが使えませんでした。

日本のiPhoneを持っていると、ソフトバンクの電話回線を持っているので街の中でもネットが使えるのです。
でも私は日本の電話ではないために、Wifiスポット(無線LAN)でなければ使えない。
しかし、日本には無料のWifiスポットが殆どなーーーーーい!!!!!

スターバックスが今年の春から無料のWifiサービスを開始したので、サインアップして、これで日本での生活も大丈夫!と思ったのですが、、、、。


今日は、Wifiを求めて信濃町の駅の周りを30分ほど歩き回り、秋葉原でもスタバやヨドバシカメラなど1時間ほど様々な所で試してみたのですが、一向につながる気配なし。都内の殆どのスターバックス支店で使えるはずなのに、「接続中」の画面から全く進みません。

東京の(一応)中心地である、東京駅で試してみる事に。
そして、新丸の内ビルの地下にあるスタバでやーっと繋がりました!

福島の原発事故の影響で、海外からの観光客が減少している日本。
数年前から「Welcome Japan」と題して諸外国に日本の良さをアピールしてきているのに、こういう所はまだまだ追いついていないんですね。東京以外では、Wifiスポットさえも見つけるのが大変です。

観光客には無料Wifiスポットがないと(少ないと)、かなーーーり不便なんですよ、おエライ方々。
こういう所も、改善されていくと良いですねぇ。




今日はうちの母、幼なじみとそのお母さんの4人で木曽路にランチに行きました。




日本の定食はたくさんの種類が少しずつ食べれるので、バランスも良くて良いですよね。
幼馴染の長女は、もう来年中学生。早いですね~。

そんな話をしていると、どこからともなく「何やってるんだー!この馬鹿者ーー!!」と、とても大きな怒鳴り声が。
声が聞こえる方向を見てみると、おじいさんとおばあさんが食事しているテーブルからの様です。


その70歳代くらいのおじいさんが、同じくらいの年のおばあさんに「食べるなって言ってるだろう!お茶なんか飲むんじゃない!飲むなって言ってるだろうがっ!俺に歯向かうのか!!バカ野郎!!!」などと怒鳴りつけています。
そのおばあさんは脳梗塞とかの後遺症のような、半身不自由な様子でした。

店内はシーンとなり、皆が見ないフリをして、でも注目しています。
店員さんは、自分たちの仕事(食事を持っていったり、片付けたり)するのでそのテーブルの横を通るのですが、おばあさんに気を使ってなのかどうか、何も言いません。

10分ほど色々な罵声を浴びさせた後、杖をついて必死に歩いているおばあさんに対し「何やっているんだよ!ちゃんと歩けよ!」「遅いんだよっ!!」と怒鳴りながら、帰っていきました。
このおばあさんは昔の人だから、きっと専業主婦として自分の主張ややりたい事を押し殺し、旦那さん(おじいさん)や家族の為に何十年も尽くしてきたんだろうな。それなのに、この仕打ち。酷すぎる。体が不自由なのは、おばあさんのせいじゃないのに。

私はあまりにも可哀相になってきて、そのおじいさんにやめるように言いに行こうと何度も腰を上げようと思ったのですが、私が助けに行った所で、レストランを出た後のおばあさんへの仕返しが大きくなる可能性があります。
それに、「おじいさんも、きっとおばあさんの介護で疲れてるんだろうな。きっと誰も頼る人がいなくて、ストレス溜まってるんだろうな」などと思ってしまい、結局何も出来ませんでした。

その時、「あっ、やっぱり私も日本人なんだな」と思いました。
加害者の立場や心境も考慮する。これは日本の良い所でもあり、悪い所でもあります。
私が知っている諸外国は、「どんな状況で、どんな理由があっても、悪い事は悪い。自分の犯した過ちは、全て自分の責任」というのが通っているところが多く、被害者が最優先。

これがアメリカなら直ぐに店員が来て、「他のお客様の迷惑になるので、やめてください。それが出来なければ、帰ってください」と言うか、即座に警察に通報すると思います。
でも、ここは日本。そんな事をする人はいません。そんな文化や習慣は、現代の日本にはありません。

そして、自分の中でなんだかんだ色んな理由をつけて、結局何もしなかった私。
かなりの自己嫌悪に陥りました。


こういう場合は、どうするのが最良なんでしょうか?
黙って見過ごすのは、なんだかとても卑怯な気がします。
でも助けに入って、後で「お前のせいで、俺は人の前で恥をかいた(または警察を呼ばれた)んじゃないか!」と、おばあさんに10倍迷惑がかかってしまう可能性もないとは言えません。

日本の政治は、まだまだ福祉全般の面に改良があると思います。
施設の問題、料金の問題、そして介護する立場の精神的バックアップ。

楽しいランチのはずだったんですが、色々考えさせられた日でした、、、。




 
今日は、甥っ子を連れて近所のショッピングモールへ行きました。

日本のショッピングモールに来るのは久しぶりですが、今日は三連休の最終日と言う事もあり、凄い人、人、人!
日本の政府は他政党を批判する時間があったら、日本の東京(東京近郊)集中型をどうにかしたほうが良いと思います。

東京(東京近郊)はこんなにも人で溢れているのに、地方では過疎化が深刻だそう。
これをどうにかすれば、高速道路の渋滞や電車のラッシュアワーの込み具合を緩和できると思うのに。まあ、他にもやらなければいけない事が沢山あると思いますが、こういうところからも国民のストレス軽減に努めていけばいいと思いますね。生意気言ってますが。

いや~、この沢山の人たちを、ぶつからない様に注意しながら歩くだけでも疲れました。
正直、人の波に酔いました。


因みに、日本在住/ または海外在住の外国の人達が日本滞在時の不満のトップの一つに必ずあげる事は、
「道は、人が多すぎてぶつからないと歩けない。電車の中は、いつも沢山の人(しかもドア付近に溜まってる)。そして道でも電車内でも、誰かにぶつかっても謝らないし、何も言わない」
と言う事だ、と聞いたことがあります。

私達はこの狭い国土に慣れすぎてしまっているのか、「ぶつかってもしょうがない」と思ってしまって、謝る事もしなくなってしまっているのでしょうか。
どんな状況だったとしても、「ぶつかったら謝る」。これは私達大人が子供に教えている事です。
子供に言うだけでなく、自分達も注意したいですね。


ところで話は変わりますが、このモールの駐車場がハイテクなんです。



空いている所に車を停めると、上のランプが赤に
 

「空いていると思って近くまで行ってみると、小さめの車が奥ばって停めてあった」なんて事、よくありますよね?
ここの駐車場はランプの色が変わるために、一目で分かるんです。週末の込んでいる時などは、イライラしながら駐車場内をウロウロしなくて良いので便利ですよね。これを考えた人、頭いい!!
 



周りの皆が言うほどの暑さではなかったですが、それでもやはり蒸し暑い日本の夏。
時差ぼけと言うか、日にちが変わることをすっかり忘れており、今日の予約を逃すところでした。
ボケ ボケ。



明日から1週間、ロサンゼルスとオレンジカウンティに行って来ます!
LAとオレンジカウンティは、私が昔住んでいたところです。2003年に日本帰国してからの、初訪問。なんと9年ぶりです!

そして撮影目的でもなく、添乗目的でもない。ダンス目的でもなく、友人の結婚式家族サービス目的でもない、100% バケーションの為の旅行は、何年振りでしょうか。 2004年に友人とヨーロッパをバックパッキングし、2006年に”青春18きっぷ”で京都へ一人旅をして以来なので、約6年ぶりです。
かなりのレベルでワクワクしているのですが、LAの後は約1ヶ月の日本帰国の為、準備でバタバタしています。

昨日がレイバーデイで暦上夏が終わったのですが、今日はいきなり雨でちょっと肌寒くなりました。本当に、もう夏が終わりなのかな、、、。






最近は自分で作ったものをアップしていますが、自分達の結婚式でも手作りしたものや既製品に手を加えたもの等もあり、一人で必死になって作った愛着ある物たちなので、この場を借りて紹介させていただきます♪

招待状や、会場マップ(これらは普通ですよね)の他に、、、




スウィングしている ウェルカムドール
もちろんミキティ付き


062.jpg





ペン立て
単に茶筒に和紙を張っただけですが、、、



209-1.jpg
席次表
これも100均の額縁に、和布を張っただけですが、、、





テーブル名のスタンドにした和傘と
和紙で作ったメニューカード
竹馬テェブル = 幼なじみ家族のテーブル

この傘は100円ショップで傘の玩具を買い、ついていた半紙の部分を切り取り、ちりめんの布で張り替えました。もちろん、閉じる事もできます。
もともとゲストにあげるつもりで予備も含めて沢山作ったのですが、1本くらい残して置けばよかったな。もうこの傘の玩具、100円ショップで見つからないんです。(泣)




色も柄も、1つ1つ違います。
アドレナリン テェブル = ごくごく近いダンスの友人と古武道の友人のテーブル


196-1.jpg
青春テェブル = 学生時代の友人のテーブル




席札立て




ピンクとブルー
今となっては天使の羽がボロボロになり、堕天使と化してます
 


これらに加えて、司会紹介ビデオや衣装替えの時に流したビデオも自己制作。
かなり大変でしたが、良い思いでとなりました。


(おまけ)
既製品ですが、司会をしてくれたうし君とうさぎちゃん
 




 



 

(もう一つおまけ)
自分の手作りではないですが、オーダーメイドで作っていただいた指輪。
お店の方が皆温かい人達で、担当してくださった方が私の我が侭(「こーしたい、あーしたい」など)を親身になって聞いて下さり、色々なアドバイスをして下さったりと、この指輪を一緒にデザインして下さいました。
彼女も以前に南カリフォルニアに住んでいた事があるそうで、カリフォルニア話で盛り上がり、来店するのが毎回とても楽しみでした。




木目模様に、私の大好きな桜を

このお店は、杢目金屋
ここは日本の伝統を忠実に守って、指輪をメインに様々なアクセサリーを作成している杢目金の専門店。
私は元々日本の物は大好きでしたが、海外に引越すと言う事で、絶対に日本伝統の物を身に着けて行きたかったのです。

出来上がりは、予想以上でした。
木目が良い感じに桜と重なり、まるで桜の花と花びらが水に流れているよう。この指輪を見ているだけでも心がホっと落ち着くような、優しい気持ちにさせてくれるような、満足度200%です。

杢目金屋の篠原さん、そして職人さん、本当にどうもありがとうございました。
一生の宝物です!!


そして、ブーケもオーダーメイドで作っていただきました。
どの形でどの花、どのような雰囲気で作ってほしいと要望を伝え、あとはお任せなのですが、これもとっても素敵に作っていただきました。
 
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この写真ではよく見えないのですが、カラーの花にラメなども入って、ともてきめ細やかなセンス感覚。
このブーケのお店は、アレグリア
オーナーさんのブログに、もっと詳しく見える写真が載っているので、良かったらご覧になってみてください。このブログには、この方が作ったブーケの写真がたくさん載っていて、見ているだけでも楽しいです。そして、本当に全部のブーケお洒落で上品で素敵なんです!



 
今日、私には凄い技が出来る事を発見!
なんと私は、足の指で携帯のテキストが打てるみたいです!!!

相方からメッセージが来て返信するのに、両手が粘土だらけで使えなかったので、とりあえず足の指で試してみたら、これが出来たんですねー。足の指でiPhoneのテキストうって返信まで出来ました。

独りで「おー、私って凄い!」と感動。早速ミキティに報告。
でも、当たり前ですが、ミキティは「えっ、何? ご飯でもくれんの?」と、ほにょ~とした顔で見つめ返すばかりです、、、。





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