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プロフィール
HN:
りんでぃ
HP:
性別:
女性
職業:
スウィング ダンス インストラクター
自己紹介:
 東京でスウィングダンスのインストラクターとしてレッスンやイベントを開催していました。2012年、結婚の為ボストン郊外のNorth Shore へ世界一臆病な黒猫 ミキティと共に移住。

 ここではアメリカでの生活、ダンス事情、ミキティの様子、ふと思ったことなどを綴っていきます。
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昨日は、相方パパの82歳の誕生日でした。
相方たちのセミナーが終わり、Swampscottに帰ってきてから家族でバースデーディナーに行く予定だったのですが、なぜか相方達は3時頃に帰ってきてしまいました。

というのは、昨日はとても為になったセミナー。
今日は「不動産業に係われば、家を一軒売るとこれだけの収入になる。この計算で年間○軒売ると、年収は○○ドルになる」というような話だったとか。これから不動産を目指している人にとっては良いかもしれないけれども、既にその業界に入っている人にはとっても意味のない講習だったようです。
また、「うちの次の講習を受けて、うちの姉妹店になれば、年間これだけ儲かる。うちの姉妹店になるには、次のこの講習を終了しなければならない。次の講習の教材は本当なら○○ドルだけれども、今日申し込めば、○○ドル分のディスカウントをあげるよ」というような、自社のセールス的話になったので、帰ってきたそう。
このセールスマンは、セールストークの勉強が必要ですね。(笑)



という事で、夜は予定通りに相方パパのバースデーディナー。
相方家族が超お気に入りのレストラン「Reds」が二号店をオープンしたらしく、そこへ行くことにしました。
行ってみると、なんと50分待ち! 多くの人がここの開店を待ちに待っていて、やっと2週間前にオープンしたばかりらしく、しかも今週末はメモリアルデーの週末だからなのでしょうか、とても混んでいました。

待っている間に、45分くらい遅れてきた相方兄家族も到着し、用意されたテーブルは、私たちだけ周りからちょっと区切ってある特別席でした。

食事は、1号店と変わりなく美味しかったです。
そしてサイドオーダーでブロッコリーを頼んだのですが、出てきたものは、、、



思わず笑ってしまいました。
日本なら、ブロッコリーのツボミの部分(フサフサの部分)が茎から切ってあって出てきますよね?でも1株そのままなんですっ!この大胆さ、さすがアメリカですね。相方は、何がそんなに面白いの?と不思議な顔をしていました。



食事の後は、恒例の「バースデーソングを歌いながら、ケーキ登場」です。
相方ママが持参したケーキは、相方パパが好きなブルー。
そうなんです。アメリカのケーキは着色料たっぷりで、色々な色があるんです。


 











 


私達2人に相方ペアレンツ、相方の兄家族3人、そして相方パパの84歳のお姉さんと8人でお祝いしたバースデーでした。



 

 
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相方兄フィアンセの息子は8歳で、ヒップホップを習っています。相方兄フィアンセの姉の娘は3歳で、バレエを習っています。
今日は、その子達のダンス発表会を見に行きました。

会場は近所の高校。このダンススクールはヒップホップだけではなく、モダンダンスやクラシックバレエ、タップダンスも教えているそうで、今日の発表会は、その全部のダンスです。



 


まず始めは、高校生のダンスから。演目にはジャズダンスと書いてあったのですが、ジャズステップは一つもなく、モダンダンスでした。(笑)

その次からは年齢が小さい子達から、徐々に大きな子達の発表と移っていきます。
フィアンセ姉の娘の発表になりました。
3~4歳くらいの女の子たち10人のバレエ。バレエと言ってもまだ3歳なので、つま先で立ったりはしていなく、チュチュを着てプリンセスの様なティアラをつけたり、リボンをつけたりして、体を動かす程度のもの。でも、ものすごーく可愛かったです。
ですがフィアンセ姉の娘ちゃんは、始めから終わりまでずっと「パパー、パパー」と叫んで泣いていました。


右から2番目の子



見ている限りでは、年齢は3歳から小学校中学年くらいまで、+高校生という感じでした。
振り付けを覚えられらい位の小さい子達が踊るときには、その高校生たちが舞台の裾でお手本として踊り、それを子供たちが真似ると言うものでしたが、端っこに座っていた私達から、その裾の高校生が丸見え!子供達のために目を真ん丸く開いたり、表情を変えて踊っている高校生も可愛かったです。


そして、フィアンセ息子の出番。







 

なんと彼のグループは小学生年中くらいの子が9人いたのですが、男の子はフィアンセ息子だけでした。
ダンスレッスンの時には周りの女の子からモテモテで、ハーレム状態だったらしいです。(笑)

日本でも最近はダンスやバレエ教室が増え、通っている子供たちも多くなってきたと聞きますが、私が子供の頃はそれほど多くはありませんでした。
小さい頃からダンスに馴染みのある文化というのは、良いですね。





今日は、母の日です。

5月の第2日曜日が母の日と言うのは、日本、アメリカ、カナダ、オーストラリア、イタリアなどの27カ国。(「Wikipedia 母の日」 参照) そしてこの母の日の起源には様々な説があるようですが、日本が行っている行事と言うのは、アメリカからきているようです。



詩人であり作家、平和主義者、婦人参政論者であるJulia Ward Howe(ジュリア・ワード・ハウ)は、1819年に7人兄弟の一人として生まれました。幼い頃に母親を亡くしたジュリアは、詩人だった母親の影響を受け独学で学びます。

しかし古風な考えを持っていたジュリアの夫サミュエルは、彼女の財産全て(親から相続した財産も含め)を奪い、家事と育児に徹するように強いります。ジュリアの執筆を妨げるにも係わらず、夫サミュエルは彼女の財産を浪費し続けていきました。
しかし1980年代に入り、夫と別離したジュリアに機会が巡ってきます。

そんな頃の1832年、遠く離れたヴァージニア州にAnn Maria Reeves Jarvis(アン・マリア・リーヴス・ジャービス)という女性が生まれます。
大人になったアンはMothers' Day Work Club(マザーズ・デイ・ワーク・クラブ)を形成し、結核を患った母親がいる家庭に働く女性を派遣したり、薬を買うための資金を集めたり、また南北戦争中の最中には、北部諸州と南軍の両軍人の傷の手当をしたり、食べ物を提供したりしていました。
そして戦争が終了した1865年には戦後の憎しみや悲 しみを緩和する為に、Mothers' Friendship Day(マザーズ・フレンドシップ・デイ)と称し両軍の兵役経験者を集めました。このMothers' Friendship Dayは、この後数年続きました。


このアンに影響されたジュリアは、自分の妻としての経験と、南北戦争で味わった「自分達の息子が他の母親の息子を殺しあう」という事実に苦しむ一人の母親として、宣教師となって世界を渡り、女性の社会的権利を主張してまわりました。これがはじめての『母の日宣言』となります。
1872年6月2日には『平和を願う母の日』として、ジュリアの援助のもとで母達を祝うようになりました。しかしこの習慣も、彼女の援助が尽きてしまうと共に忘れられてしまいます。


時が経ち1905年5月9日、アン・マリア・リーヴス・ジャービスが他界します。
娘のAnna Maria Jarvis(アンナ・マリア・ジャービス)は母の事をとても尊敬しており、生前の母の意思を継ごうと決意しました。
アンナは1906年、母親が日曜学校の教師として25年勤めていたウェストヴァージニア州 Grafton(グラフトン)という街にあるAndrew's Methodist Church(アンドリューズ メソジスト教会)にMothers' Day Memorial Committee(マザーズデー記念委員会)を設立し、行政、教育、宗教、産業界などに母の日制定の嘆願書を送ります。
1908年5月10日、アンドリューズ メソジスト教会、そしてペンシルバニア州フィラデルフィアの教会にて初の記念会が行われ、アンナは母親の好きだった白いカーネーションを贈りました。この日が5月の第2日曜日でした。
アンナのこの行為に多くの人が共感を覚え、ウェストヴァージニア州の教会には407人が集まり、礼拝に来た母親達にはカーネーションが2本ずつ配られたと言います。

1909年には全米、カナダ、メキシコ、プエトリコで母の日が祝われるようになり、1914年には第28代目大統領だったWoodrow Wilson(ウッドロー・ウィルソン)が、正式に5月の第2日曜日を母の日と制定し、翌1915年には国民の祝日となりました。

アンナは教会にカーネーションを贈り続け、それが母の日のシンボルとなりました。亡くなったアンナの母が白いカーネーションが好きだったことから、亡くなった母を偲んで贈る場合は白いカーネーション、母が健在の場合は赤いカーネーションを贈ると言われています。
またカーネーションは、聖母マリアが十字架に掛けられたキリストを見送ったときに流した涙の跡に咲いた花だという逸話があり、それ以降、”母と子”や”母性愛”を象徴する花とも言われています。




話は長くなりましたが、私達も相方兄家族と一緒に、母の日を祝いました。
ディナーの会場は、以前相方兄に「ライブバンドを聴きながらディナーが出来るから」と招待され行ってみたら、ファンク・ミュージックだったイタリアンレストラン 「Polcari's」。今回は、ライブバンドは入っていなかったものの、相方兄は相当このレストランが好きなんですね、きっと。

私達は既に相方ママが好きな百合の花束を送っており、「練習用お箸」も贈っていました。
相方兄は、レストランにて真っ赤なバラの花束を贈呈。
相方ママは、とても喜んでいました。



 息子たちと





 義娘たちと






今週末は、先々週に引き続きボストンに来ていた相方姉家族と兄家族でランチをしました。
相方妹家族はいなかったのですが、ちょっとした相方兄姉弟ランチです。

子供たちが大好きなFuddruckers(ファッドロッカーズ)と言うハンバーガー屋さんでの食事でした。
ここは頼んだバーガーに好きなトッピングを好きなだけ自分でのせる事ができ、フライドポテトのソースも5種類くらいの中から取り放題。そして何よりもレストラン内にゲームセンターがあるのです。だから子供達は、大好きなんですよね。(笑)

そのゲームも結構本格的なもの。UFOキャッチャーからシューティングゲーム、戦闘もの、ファイティングもの、そしてエアホッケーまでありました。注文した物を待っている間は、彼らはそれに夢中です。


そして、ここにあったのが面白いジュースのマシーン。



9b9052f1.jpeg     これが従来のもの



IMG_0275.JPG  これが最新のもの



  液晶画面



味は、例えば”コーラ”を押すとバニラコーラやチェリーコーラなどのフレイバーの選択ができ、コーラだけでも8~9種類の味があるのです。その為、全部の味の合計は何十種類!ハイテクですねー。日本にも、あるのでしょうか?



このレストランの売りはゲームやドリンクの機械だけでなく、肝心のハンバーガーの味もイケてます。



ボリュームも十分

 
また、クラシックカーの席もありました!
写真からは良く分かりませんが、車の中にはブースシートと丸テーブルがあり、その中で食べれるのです!


 













目でも舌でも、味わせていただいたランチでした!




 
今日は相方パパの退院を祝って、相方パパ&相方兄家族とお決まりのIHOP でブランチをしました。
相方ママは仕事で疲れていたらしく、お休みです。

注文をして待っている間 私は、相方フィアンセの息子とマルバツゲームをしていました。
昨日の夜、相方兄達が帰ってきたのは夜中の2時半頃。それから30分ほど喋って、家に着いたのは3時過ぎです。
私と相方は寝不足でボーっとしていましたが、私たちが帰った後も寝付けなかったフィアンセ息子は、殆ど寝ていないにも係わらず元気いっぱいでした。子供を持つ両親の苦労が分かります。(笑)

相方パパはルートビア(Dr. ペッパーのような味)を頼んだのですが、きたルートビアにコーヒーについていたミルクを入れて飲んでいました!! おぉー、流石はアメリカ人、そうきたかー。と驚いていたら、フィアンセ息子が「このコーラ、へんな味がする、、、」と。
そしたら、ウェイターさんがコーラとルートビアを間違えて置いてしまったようです。

と言う事は、、、 相方パパは、
コーラにミルクを入れて飲んでいましたっ!!!!!  うぇ、、、
そんな事は全く気づかなかった様子で、相方パパのグラスは殆どカラ。 それルートビアじゃなくて、コーラだったみたいだよと言っても、「ふーん、そうなの?」と言うだけでした。 最強パパです。 (^-^;)






午前中はミキティの病院、午後は相方ペアレンツと食事、そして夜は相方兄フィアンセの子供の子守と、忙しい一日でした。

フィアンセ息子の年は8歳。日本で言うと、小学校3年生くらいでしょうか。
この子がまた、スタミナいっぱい!

まずはWiiのマリオカートから。
プレイ中、ずっと叫んでます。本当に、ずーーーーーーーーーーーーっとです。
「あっ、駄目!」 「抜かされた!」 「ぶつけられた!」 「やったー、追い越した!」 「今、3位に上がった」 「なんで、10位に下がったんだよー!」 「フェアじゃないよ!」 「ちきしょう!」 「何でだーーーー!」 「やったー、ロケットだ!」 「僕は、これ上手いんだよ」 「僕の真似してたら、上位に入るよ」 「イエーイ、1位だ!」 「そのまま行けー!!」 などなど。
大袈裟ではなく本当にずっと何かを叫んでいて、何も言わないときは一時もありませんでした。そして、ボディリアクションも凄い!コントローラーで操作しながら、ずーっと動き回っています。
凄いですよね、よくここまで言葉が出てくるものだと感心します。

日本の子供は、「高橋名人」(古い?)を見てても、大概は黙々とやっています。たとえ言葉を発しても、「あー」くらいじゃないでしょうか?
これは人種の違いなんでしょうかね。この年で既に、鍛えられています。


マリオカートが飽きると、次は何か戦闘ものです。
これがまたリアル、リアル。
画面はまるで自分が戦場にいて、ヘルメットの中から周りを覗いているかのよう。銃を撃っても、自分が持っている銃から撃ったような角度で銃弾が出るし、自分が撃たれるとコントローラーがブルブルっと揺れ、ヘルメット(画面)に血が飛び散ったように移ります。本当に現実味があります。
こういうゲームを1日に何時間と続け、ゲームの中の戦友とコミュニケーションをとり、何度撃たれてもリセットしてまたやり直せる。これじゃあ、子供たちが現実の世界でも簡単に銃事件を起こしてしまったり、「生身の人間を殺すとどんな感覚なのかみてみたかった」といって人を殺してしまったりするのも、わかる様な気がしました。
こういうあまりにリアルなゲームは、本当に危険です。現実とゲームの中の世界の見境がなくなってしまいます。
そんな事を考えて、身震いを覚えました。


そんな私の考えも何のその、フィアンセ息子は、「撃てー!」 「やったー、2人も殺した」 などと、興奮しています。
うちの相方も同じ事を思っていたようで、「そのゲームじゃなくて、Wii Danceでもやろうよ♪」と明るく促していました。


とうに夜中の12時を過ぎくたびれ果てている私達は踊る気力もなく、見物人&応援団に徹しました。
しかし一人で踊ってても詰まらなくなったのか、またマリオカートへ。私は目蓋が半分ふさがって、眠気と戦っていたので、マリオカートもチアリーダー専門。
それでもフィアンセ息子はエネルギーが有り余っていたようで、ボクシングを始める始末。







それをなだめるように、相方がマーシャルアーツを教え始めました。
最近相方は、「喧嘩に勝つ為や相手を傷つける為ではなく、自己防衛の為に使える武道」の子供版のカリキュラムをずっと考えています。それの、トライアルレッスンをしていました。



この時には、もう既に夜中の1時半頃です (^-^;)


 




相方兄達が帰ってきたのは2時半頃。
彼ら達は友達の誕生パーティーがよほど楽しかったのか、興奮状態。(笑) 普段は12時か遅くても1時頃にはねてしまう私達は、朦朧としながら相方兄達と少しお喋りをして、帰路へとついたのでした。
そして家に着くや否や、二人とも倒れこむようにベッドに入り寝入ったのでした。





今日は、相方パパの退院の日です。
肺の水も取れ、検査も異常がなかったので大丈夫なようです。
良かった!

お見舞い後は、Wellesley(ウェーズリー)と言う街に行きました。



これがWellesleyの市庁舎
 

この街も他の今まで見てきた街同様、お金持ちエリアです。道路の入り口から、家の建物が見えないお宅ばかり。凄いですね~。
こんな金持ちエリアばかりのことを書いていますが、すべてがこんな所というわけではありません。
アメリカはとても貧富の差が激しく、私たちが住んでいるNorthshoreやBostonエリアは、とくに酷いです。
今まで書いてきたリッチエリアもありますが、道路にドラッグディーラーがたむろしていたり、銃事件や窃盗が耐えない地域もあります。そういう所は、あえて避けますが。


私達は、このWellesleyの街にあるPapa Razzi というイタリアンレストランで食事を取ることに。
ここら辺は相方の大学の近くで、学生時代によく来ていたそうです。
いつも入るファミリーレストランとは違い、ちゃんとしたイタリアンレストランでした。笑



ロブスターがたくさん入ったラビオリ




ティラミスも甘かったですけど、美味しかったです





 
今日は相方兄のうちにお呼ばれされました。
相方ママが大量のラザニアとチキンを作ってくれたという事で、お裾分けをいただきに行ったのです。

行ってみると、相方兄フィアンセのお姉さん家族も来ていました。ということは、パーティーではないにしろ、やはりブラジル人密度が高かったです。私はここに住んでいて、アメリカに来たんだ!と思える日が来るのかな?? (^-^;)

そしてママの味ディナーの後は、Wii Dance 初体験です!
Wii のゲーム自体は友達とやった事があったのですが、Danceはお初でした。
曲が流れ、それにあわせて振り付けが画面に出てくるんですが、これがまた、簡単じゃなかったです。
曲は懐メロものから現代の若者向けのものまであります。そしてそれによって、ダンススタイルや難易度も違うようです。
例えば昔の曲だったらディスコちっくな踊りで、最近のものだったらヒップホップやロックダンス的なものです。

私が踊ったのは、Bananaramaの「Venus」でした。
いや~、疲れました~。良い運動でした。 ボストンには頻繁に踊りにいけない分、そして車社会で歩く事が殆どない分、これで運動不足を解消できそうです。
今年の誕生日は、これで決まりですね!

子供にとっても、お勧めです。
ファイティングや撃ち合いのゲームをしてダークな世界に浸るよりも、踊って、体を動かしている方が何十倍も健康的ですし、親子でも楽しめます。
もしゲームばかりしているお子さんに困っているとしたら、Wii Danceはお勧めです!





今日相方は午前休を取り、私達はまたもやニューハンプシャー州に行きました。
と言うのは、相方ペアレンツがそこにあるサマーハウスを売りたいという事で、家の写真を撮りに行ったのです。
こちらではサマーハウス(いわゆる別荘)は、日本でいう別荘とは感覚がちょっと違います。
日本で「別荘を持っている」と言うと超お金持ちというイメージになりますが、こちらではそれほどの感覚はないようです。日本ではいざと言うときのために貯金を溜めますが、こちらはいざと言うときの為(そしてちょっとしたバケーションの為)に別宅を持つのです。


相方ペアレンツは今の家が気に入っており、別宅のある田舎へは引っ越す予定もなく、自分達で長距離は運転できないから滅多に使う事もないだろうと言う事で売ることに決めたようです。その為に今日は、広告用の家の写真を撮りにきました。
Swampscottから北へ2時間ほど走らせた湖のほとりに、このサマーハウスはありました。



 可愛らしい1階建てです。



 奥に細長い家です



 裏にはまだ雪が








 長い間来ていなかったらしく、家の中はなんともいえない空気が漂っていました








 湖のほとりにあります



帰る途中で、Friendly と言うファミリーレストランでランチを。そしてここでも、あのモルツシェイクを発見!! きっとモルツシェイクはJohnny Rockets 独自の物ではなく、アメリカのダイナーでは普通にあるのだと察した私でありました。でも私にとっては伝説のモルツシェイクです。迷わずバニラモルツシェイクを注文しました。

ここでもフレンドリーな相方パパ。
見ず知らずの老夫婦に、「若者が、こんなところで何やってるんだ?」と話しかけていました。なんとこの老夫婦、二人とも92歳だそうです! そんな老夫婦に、”若者”と話しかける相方パパ。本当に面白いです。

ニューハンプシャーの田舎町にあるサマーハウスを見て、モルツシェイクを食し、今日も良い一日でした!
 
今年はうるう年だったんですねぇ。今初めて気づきました。
 
今日は嬉しいサプライズが。
相方の コネチカット州に住んでいるお姉さんから蘭の花が届き、
「Welcome to America! 会ってお迎えすることは出来ないので、歓迎の気持ちとして、ちょっとしたものを送ります」
と言うメッセージが。
相方も知らなかったらしく、ビックリしていました。

   とっても綺麗です




 
相方ペアレンツと相方兄は近くに住んでいて、しょっちゅう会っています。他州に住んでいるお姉さんと妹は、引っ越してきてからまだ会えていません。でもこんな綺麗な蘭をもらうと、本当に歓迎してくれているんだなと嬉しくなります。
しかもこの蘭は、多くある蘭の種類の中でもアジアなどに生息している種類らしいです。お姉さんがそれを知っていてこの種類を選んだのかは分かりませんが、偶然だったとしても、素敵な偶然です。
お姉さん、どうもありがとう!!!!

 


 
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