今日は、母の日です。
5月の第2日曜日が母の日と言うのは、日本、アメリカ、カナダ、オーストラリア、イタリアなどの27カ国。(「
Wikipedia 母の日」 参照) そしてこの母の日の起源には様々な説があるようですが、日本が行っている行事と言うのは、アメリカからきているようです。
詩人であり作家、平和主義者、婦人参政論者である
Julia Ward Howe(ジュリア・ワード・ハウ)は、1819年に7人兄弟の一人として生まれました。幼い頃に母親を亡くしたジュリアは、詩人だった母親の影響を受け独学で学びます。
しかし古風な考えを持っていたジュリアの夫サミュエルは、彼女の財産全て(親から相続した財産も含め)を奪い、家事と育児に徹するように強いります。ジュリアの執筆を妨げるにも係わらず、夫サミュエルは彼女の財産を浪費し続けていきました。
しかし1980年代に入り、夫と別離したジュリアに機会が巡ってきます。
そんな頃の1832年、遠く離れたヴァージニア州に
Ann Maria Reeves Jarvis(アン・マリア・リーヴス・ジャービス)という女性が生まれます。
大人になったアンはMothers' Day Work Club(マザーズ・デイ・ワーク・クラブ)を形成し、結核を患った母親がいる家庭に働く女性を派遣したり、薬を買うための資金を集めたり、また南北戦争中の最中には、北部諸州と南軍の両軍人の傷の手当をしたり、食べ物を提供したりしていました。
そして戦争が終了した1865年には戦後の憎しみや悲 しみを緩和する為に、Mothers' Friendship Day(マザーズ・フレンドシップ・デイ)と称し両軍の兵役経験者を集めました。このMothers' Friendship Dayは、この後数年続きました。
このアンに影響されたジュリアは、自分の妻としての経験と、南北戦争で味わった「自分達の息子が他の母親の息子を殺しあう」という事実に苦しむ一人の母親として、宣教師となって世界を渡り、女性の社会的権利を主張してまわりました。これがはじめての『母の日宣言』となります。
1872年6月2日には『平和を願う母の日』として、ジュリアの援助のもとで母達を祝うようになりました。しかしこの習慣も、彼女の援助が尽きてしまうと共に忘れられてしまいます。
時が経ち1905年5月9日、アン・マリア・リーヴス・ジャービスが他界します。
娘の
Anna Maria Jarvis(アンナ・マリア・ジャービス)は母の事をとても尊敬しており、生前の母の意思を継ごうと決意しました。
アンナは1906年、母親が日曜学校の教師として25年勤めていたウェストヴァージニア州
Grafton(グラフトン)という街にある
Andrew's Methodist Church(アンドリューズ メソジスト教会)にMothers' Day Memorial Committee(マザーズデー記念委員会)を設立し、行政、教育、宗教、産業界などに母の日制定の嘆願書を送ります。
1908年5月10日、アンドリューズ メソジスト教会、そしてペンシルバニア州フィラデルフィアの教会にて初の記念会が行われ、アンナは母親の好きだった白いカーネーションを贈りました。この日が5月の第2日曜日でした。
アンナのこの行為に多くの人が共感を覚え、ウェストヴァージニア州の教会には407人が集まり、礼拝に来た母親達にはカーネーションが2本ずつ配られたと言います。
1909年には全米、カナダ、メキシコ、プエトリコで母の日が祝われるようになり、1914年には第28代目大統領だったWoodrow Wilson(
ウッドロー・ウィルソン)が、正式に5月の第2日曜日を母の日と制定し、翌1915年には国民の祝日となりました。
アンナは教会にカーネーションを贈り続け、それが母の日のシンボルとなりました。亡くなったアンナの母が白いカーネーションが好きだったことから、亡くなった母を偲んで贈る場合は白いカーネーション、母が健在の場合は赤いカーネーションを贈ると言われています。
またカーネーションは、聖母マリアが十字架に掛けられたキリストを見送ったときに流した涙の跡に咲いた花だという逸話があり、それ以降、”母と子”や”母性愛”を象徴する花とも言われています。
話は長くなりましたが、私達も相方兄家族と一緒に、母の日を祝いました。
ディナーの会場は、以前相方兄に「
ライブバンドを聴きながらディナーが出来るから」と招待され行ってみたら、ファンク・ミュージックだったイタリアンレストラン 「
Polcari's」。今回は、ライブバンドは入っていなかったものの、相方兄は相当このレストランが好きなんですね、きっと。
私達は既に相方ママが好きな百合の花束を送っており、「練習用お箸」も贈っていました。
相方兄は、レストランにて真っ赤なバラの花束を贈呈。
相方ママは、とても喜んでいました。

息子たちと

義娘たちと
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