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プロフィール
HN:
りんでぃ
HP:
性別:
女性
職業:
スウィング ダンス インストラクター
自己紹介:
 東京でスウィングダンスのインストラクターとしてレッスンやイベントを開催していました。2012年、結婚の為ボストン郊外のNorth Shore へ世界一臆病な黒猫 ミキティと共に移住。

 ここではアメリカでの生活、ダンス事情、ミキティの様子、ふと思ったことなどを綴っていきます。
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先日書き換えが終了した運転免許書が、今日届きました!

1週間ほどかかるといっていたのですが、2日で届きました。約5ヶ月かかったカリフォルニアとは大違いです。
ドナー提供の印もきちんと入っており、良かった良かった。





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今日は、やっとやっと運転免許が取れました!!
前回のトライ 以後、先延ばしにされていましたが、今日やっと行くことができました。
 
まずRMVへ着くと、お馴染みの長蛇の列です。しかしこの列は案内係に来た理由を話し番号札をもらう為のものだったので、思っていたよりかは早く進みました。それでも、番号をもらう為だけに20分は待ったのですが、、、。

番号をもらい40分ほど待つと私の番号が呼ばれました。前回対応してくれた係りの人が、筆記テストを受けるまでの記録と手続きをコンピューターに残してくれていたので、ささっと事は進みました。カウンターのお姉さんに必要書類を渡すと、「テストは英語で受けますか?」と聞かれました。
一瞬何のことを言っているのか分からなかった(だってアメリカは英語じゃない?)のですが、カリフォルニアでも筆記テストを日本語で受けられた為、恐る恐る「日本語もありますか?」と聞いてみると、この日本人がいない地域にも日本語があったんです!

 
という事で、日本語で受ける事に。
カリフォルニアでは、大きな部屋にいくつもの机が並んでおり、係りの人が見守る中でテストを受けました。しかしマサチューセッツでは(ここのRMVでは)、机が2つとPCが4つ並んだだけの小さな別室で、監視官がいない中で受けたのです。これじゃカンニングし放題じゃないネ。けれども肝っ玉の小さい私は、と言うかカンニングする本も何も持っていなかった私は、真面目に受けました。


ところがこの日本語テスト、日本人が少ないこの地域だからなのか、日本語がおかしいです!

まず表紙に「答えと思うアルファベットを□の中に書きなさい」とあるのに、アルファベットを書く□がない。その代わりに、各アルファベットの前に□があり、それに✓を入れるだけ。
問題文に「転時にこのサインを見たら~」とあり、“転時”!?何だそりゃ??曲がる時って意味かな?それともUターンする時って事かな?と思って英文を見てみると、“ ~, When you drive. ”と。なーんだ、”運転時の『運』” がないんジャン!! とこんな感じで、かなりテキトーな日本語でした。英語の原文も載っていたから良かったものの、意味が通じない日本語があれよ これよとありました。


そして、全く勉強せずにテストを受けた為、
「ジュニアドライバーの制限とは何ですか」 ← ジュニアドライバーって、18歳以下の事かな?20歳以下の事かな?制限があったことすら知らなかった
「ジュニアドライバーが飲酒運転をした場合、罰せられることは何ですか?」 ← あれっ?? アメリカって18歳から飲酒OKだっけ?20歳だっけ?21歳だっけ?
そんな単純なことも忘れてしまっており、殆どの問題をカンで答えました。

約30問近くあった問題の中、18問以上正解すれば良いとのことでしたが(まあ、これも日本語で書かれあったので、本当にそうかどうかは不明)、答えが分からない問題が多かった為に自信はなく、係りの人が手作業で採点している間ドキドキ。

いきなり「Hey, Ms. (そこのお嬢さん)」と呼ばれてカウンターの方へ行くと、私がカウンターに着く前に、「パスしたからさっきの係りの人のところに行って」と言われます。
そんなぶっきら棒な、、。 せめて私が目の前に来るまで待ってくれて「おめでとう!」と笑顔で言ってくれればいいのに。 とこれまた、カルチャーショック的なものを感じながら、始めのカウンターへと戻りました。ここでも事務的に処理され、笑顔もおめでとうもなかったです。
なんか寂しいな、、、。 今のアメリカってこんなんなのかな?それとも東海岸がそうなのかな?
でも、やっと約1ヶ月かかって免許の書き換えができ、パスポート以外で私の身分を証明するものができました。何はともあれ良かったです!
 

そして今日の夜は相方兄のフィアンセの友達が集まってディナーをするという事で招待されました。
相方兄のフィアンセは、ブラジル人です。そして彼らの家に行って見ると、私達と相方兄以外はブラジル人でした。(笑)
バレンタインダンスパーティーはイタリアンパーティーだったし、ホワイトデーの今日はブラジリアンパーティーです。渡米して1ヶ月ちょっと。まだまだアメリカに来た感じがしない私であります。


ブラジル人子供達と

 
さすがはお祭りとダンスの国、ブラジル人達。盛り上がり方が半端じゃなかったです。
バレンタインパーティーの時は、ダンスパーティーだったのでダンスをする場所が確保されており、踊る為のパーティーでした。今日はディナーパーティーで、普通のアパートのダイニングルームです。
普通の台所でサンバちっくな音楽を流し、軽快なステップを刻みながら大きな声で笑いが溢れる。イタリア人もビックリする程です。 どこでも楽しい場所に変えてしまう彼ら は、まさしく天才です!
彼らの見事な腰振りっぷりには敵わないまでも、私達もバルボア(バルボアダンスは、スウィングダンスの中の一つです)で参加し、なかなかボストンまで踊りに行けない日頃のもどかしさを、解消させていただきました。
 
いつもとはちょっと違った、熱気あふれるホワイトデーでした。
因みに相方からは、ホワイトデーとしてオーガニックチョコレートをもらいました。基本的に私は和菓子派で洋菓子はあまり好きではないのですが、これがまた甘くなくて美味しかったです!








 
我が家の王子 ミキティは、だんだんと普通に戻ってきました。
新しいおもちゃが効いたようです。

このおもちゃ、たまたまテレビで見た番組で登場してきたものです。
Animal Planetというチャンネルで、「My cat from hell(地獄からやって来たうちの猫)」という番組があります。
飼い主に対して敵意を見せ、引っ掻いたり噛んだりする猫達を良い子に変える番組です。
この番組ホストのJacksonさんは猫の心理を本当に良く分かっており、この人の手にかかるとどんな子でも良い子に変わってしまうのです。


まずはその家に行って猫に会い、家の中を見て周り、なぜ猫がそういう行動を取るか原因を探ります。
そして飼い主に、ここをこうした方が良いと助言を与えて2週間試してもらいます。そして2週間後に再訪問してみると、猫は大人しくなっており、引っ掻いたり噛んだりもしなくなっているという番組です。
決して痛みを与えて、そうしないように怖がらせるのではなく、心理的にペットと人間が共存できる環境へと変えていくのです。

この番組を見ると原因は人間側にる場合が殆どで、猫達は(犬もそうですが)ただ極度に怖がっていたり、ストレスが溜まっていたり、野生本能に従った行動をしているだけだったりということが多いです。
よく猫が家具や飼い主を引っ掻くからと言って全ての爪を抜いてしまったり、、犬が吠えるからといって声帯を切除したり電流が流れる首輪をつけたり、または人間の命令に従わないからといってペットを捨ててしまうなどの事柄を本当に多く耳にしますが、それらは人間のエゴや我侭でしかないですよね。
人間がその動物の本能をきちんと認識し、ペットがそのような行動をしないように私達人間が何を出来るかを考え、深い愛情を注げば、動物の悪い習慣も改善されていくと思います。


遠回りをしてしまいましたが、この番組でストレスが溜まりに溜まり過ぎている猫に、このおもちゃを紹介していたのです。
その名も、ズバリ「Da Bird(ザ・バード)」。











本物の鳥の羽がついており、振り回すと本当に鳥が飛んでいるようなバサバサっとした音が出ます。
只今ミキティは、これに夢中♡







袋を開けた瞬間から目がキラリと光り、一目散に追いかけます。興奮してくると、尻尾はボっと一回りくらい太くなります。それはまるで、「魔女の宅急便」の、キキがほうきで空を飛ぶ練習をしているときに、ほうきがボっと膨らむシーンのよう。
おもちゃを床に置くと、お尻を持ち上げ、プリプリっと左右に振って準備をし、おもちゃに突撃!カーペットでスライディングをするので、毛が摩擦で薄くなり、肉球は軽いやけどの様になっているくらいです。(笑)












ヒートアップしてくると、指ををめいいっぱいに広げます。
左手が普通のサイズ。右手は、まるで指が8本くらいあるみたい



こんなにも、必死に遊んでくれるんだー!と、こちらも嬉しくなってしまいます。
ちょっと強面だけど優しく涙もろいJacksonさん、あなたは天才です!!!
あなたのおかげで私達は、夜眠れるようになりました。



時々見せる表情は、まるで「X-メン」のミスティークのよう。






隠れている”つもり”のミキティ
でもまだ「隠れん坊」じゃなくて、ハンティング用に隠れているだけです




これが今日の獲物


 



すっかり落ち着いてきたミキティ。
最近は日本から持ってきたミニ・ミキティでも、遊ぶようになりました。
渡米祝いにと生徒から戴いた花束についていたぬいぐるみですが、
活躍しているということでドンマイです!





 
 
今日は、先月「絶品パンケーキ」にお供してくれた相方フレンドのコンサートを聴きに、Lexington(レキシントン)の街に行きました。

Lexington は Swampscott から西へ行った小さな町です。今では可愛らしい町並みがありますが、ここはアメリカ誕生の地と呼ばれているところです。それは、このLexington の地が、アメリカ独立戦争(「革命戦争(The Revolutionary War)」とも言います)の発端となったレキシントンの戦いがあった場所だからです。
 

東海岸の一部がまだイギリスの植民地だった頃、イギリスはオハイオ川流域のインディアンの領土を巡ってイギリスとフランスがこれを植民地とするため「フレンチ・インディアン戦争」の真っ只中。
この戦争が長年続いた事により、イギリスは財政危機に陥っていました。その為に
1764年 砂糖法(Sugar Act)
1765年 印紙法(Stamp Act)
1767年 ダウンゼント諸法(Townshend Acts)
などの課税を成立させ、植民地からの税収増を図ります。
これにより益々不満が高まった植民者は、独自にミニッツト・マンという平民組織を作りました。ミニット・マン(Minute Man)とは、1分間で戦闘体制に入れるよう訓練された 普段は農業に従事している植民地の ”農民兵の部隊” のことです。

1775年4月18日、イギリスのトーマス・ゲイジ将軍(Thomas Gage) の耳に植民者が武器を隠していると言う情報が入り、部隊を派遣しました。その頃、その派遣を知った植民者は、武器を移してミニット・マンを招集しました。
1775年4月19日、ジョン・パーカー大尉率いる77名のミニット・マンがバックマン広場で待機する中、イギリスのジョン・ピトケアン少佐率いる7000人の部隊が到着。パーカー大佐はミニット・マンに、「イギリスに対して抗議をしよう」とこちらからは戦う意思のない事を伝えています。その時の言葉が、今でも残っています。

「しっかり立っていろ。撃たれるまでは発砲するな・・・だが、奴らが戦争をしたいというのなら、ここで始めようじゃないか!(Stand your ground. Don’t fire unless fired upon, but if they mean to have a war let it begin here!)」

しかしどこからともなく一発の銃声が聞こえ、それに反応したイギリス軍が発砲し、両軍が交わります。これにより、数名の平民が命を落としました。
これが「1発の銃声が世界を変えた」と言われた『レキシントンの戦い』であり、後にアメリカ独立戦争へとつながっていきました。そしてこの歴史的事件が実際に起こったのが、このLexingtonの街なのです。

因みにこの始めの発砲は、イギリス軍はミニット・マンが撃ったと主張し、ミニット・マンはイギリス軍が撃ったと主張しており、物議は今でも続いているそうです。


ちょっと歴史のおさらいで寄り道しましたが、私達と相方フレンドは、Daikanyama と言うレストランで早めの夕食をとりました。

LexingtonはSwampscottよりもアジア人人口が多く、道を歩いていてもアジア人を見かけます。とは言っても日本人は少なく、韓国人とカンボジア人が多いような感じはしましたが。
このDaikanyama、名前は日本の地名ですがオーナーは韓国人、そしてレストランには日本食+韓国料理+中国料理の全部がメニューにありました。因みに働いている人は、韓国人と中国人のみでした。
そしてこのレストランは、相方と相方フレンドが学生の頃からあったらしく、そう考えるともう20年近くも営業しているって事ですよね。不況で多くの店が閉店していく中、本当にあっぱれです。

相方フレンドは焼きうどんを注文し、私達は握りセットと石焼ビビンバをシェア。私的には、アメリカで食べるアジアン料理にしてみれば味は悪い方ではないと思いますが、なんせお寿司もビビンバも久しぶりだったので、お腹も満足してくれました。
 

食事を終え、私達は会場となる教会へ向かいました。
今日のコンサートはChurch Choir(教会の聖歌隊)で、相方フレンドはそのメンバーとして歌うのです。
実は相方も、相方ママがカトリック教な為に子供の頃から聖歌隊に所属しており、学生の時にはクラシック音楽の合唱団メンバーとしてヨーロッパツアーも行っていました。このフレンドは、その時からの友達です。

無宗教の私は、生で聖歌隊の歌を聴くのは生まれて初めて。
約90分のコンサートで、ただ「ジーザス」と「アーメン」を繰り返しているようにしか聞こえなかったのですが(キリスト教の方、本当にごめんなさい)、ソロを歌った相方フレンドのレベルは素人の私でも分かるくらい、格別に素晴らしいものでした。
それもそのはず、この友人はこれが職業なのです。教会で賛美歌を歌い、時には先生として聖歌・賛美歌を教えたり、ボイストレーニングをするのが仕事です。なかなか歌で生計を立てれる人は少ないので、これは本当に凄い事ですよね。





今日は相方の仕事が終わった後、Beverly(ビバリー)という隣町へドライブがてらに行きました。
Beverlyは、3年ほど前にダンスのワークショップ Beantown Camp を受ける為にボストンへきた時、そのワークショップの会場があった街です。
Beantown Campは大学のキャンパスで行われ、夏休みで誰もいなくなった大学の寮に1週間泊まれるものでした。寮に入って沢山のダンサーやインストラクター達と衣食を共にし、毎日明け方までダンス三昧と、とても楽しい思い出です。
 
Beverly へ着くと、まずは相方が学生の時によく通っていたという Atomic Cafe へ。美術の短大が近くにあるらしく、お店のスタッフや来ているお客さんはアート系の人ばかりでした。お店の壁には、きっと学生さんが書いたんだろうと思われる絵本がページごとに飾ってありました。
 
Atomic Cafeでゆっくりした後は、周辺を散歩し、ドライブし、そして北東にあるEssex(エセックス)へと進みました。Essex は山・湖・港があり、Fried Clam(フライド クラム)で有名な街です。
Fried Clamとは、蛤と思われる二枚貝を揚げたもの。通常は、belly(ベリー)と呼ばれる貝の身とStrip(ストリップ)と呼ばれる身の回りにあるエラのようなヒラヒラの部分(ヒラメやカレイで言うと、お寿司のネタにもあるエンガワ部分です)の2つのメニューがあります。

このEssexの町の中でも有名な Woodman’s と言うレストランで、軽い夕食をとりました。ここは1912年からある老舗のようです。今は冬の為かお客さんはそれほど多くはなかったですが、気候が暖かくなるといつも満席らしいです。(ここら辺はどこに行っても、冬は人がいないんですねぇ、、、)





言ってみれば単なる貝のヒモの部分の揚げ物なんですが、とても美味しかったです。衣に、ちょっと甘みがある気がします。

揚げ物なのでさっぱりと言うわけではないですが、アメリカの食べ物にあるような脂っこくてこってりというものではありませんでした。



今回はこれしか食べていないですが、今度はお腹をすかせて来て、他のシーフードやクラムチャウダー、ロブスターも試してみたいと思います。




今日相方は午前休を取り、私達はまたもやニューハンプシャー州に行きました。
と言うのは、相方ペアレンツがそこにあるサマーハウスを売りたいという事で、家の写真を撮りに行ったのです。
こちらではサマーハウス(いわゆる別荘)は、日本でいう別荘とは感覚がちょっと違います。
日本で「別荘を持っている」と言うと超お金持ちというイメージになりますが、こちらではそれほどの感覚はないようです。日本ではいざと言うときのために貯金を溜めますが、こちらはいざと言うときの為(そしてちょっとしたバケーションの為)に別宅を持つのです。


相方ペアレンツは今の家が気に入っており、別宅のある田舎へは引っ越す予定もなく、自分達で長距離は運転できないから滅多に使う事もないだろうと言う事で売ることに決めたようです。その為に今日は、広告用の家の写真を撮りにきました。
Swampscottから北へ2時間ほど走らせた湖のほとりに、このサマーハウスはありました。



 可愛らしい1階建てです。



 奥に細長い家です



 裏にはまだ雪が








 長い間来ていなかったらしく、家の中はなんともいえない空気が漂っていました








 湖のほとりにあります



帰る途中で、Friendly と言うファミリーレストランでランチを。そしてここでも、あのモルツシェイクを発見!! きっとモルツシェイクはJohnny Rockets 独自の物ではなく、アメリカのダイナーでは普通にあるのだと察した私でありました。でも私にとっては伝説のモルツシェイクです。迷わずバニラモルツシェイクを注文しました。

ここでもフレンドリーな相方パパ。
見ず知らずの老夫婦に、「若者が、こんなところで何やってるんだ?」と話しかけていました。なんとこの老夫婦、二人とも92歳だそうです! そんな老夫婦に、”若者”と話しかける相方パパ。本当に面白いです。

ニューハンプシャーの田舎町にあるサマーハウスを見て、モルツシェイクを食し、今日も良い一日でした!
 
今日は、 Boston Swing Central で教える3時間レッスン「Boot Camp」の2回目です。前回レッスンを受けた生徒さんたちがとても気に入ってくれ、もう一度彼らをインストラクターとして迎えてほしいとリクエストしてくれていたのです。
 
今日の生徒の中には、私が渡米する前ショーンのレッスンに通ってくれた生徒さんも来てくれていました。私の英語は相変わらず以前ほどは戻ってはいないのですが、前回よりかは通じてもらえたと思います。
 
私達は、他のインストラクターが教えているレッスンに参加するのが大好きで、よくレッスンに参加したりしていました。
他の人が教えているのを見ると、自分では使っていなかった表現の仕方や言葉の選び方、説明のしかた、レッスンのゴールに達するまでのアプローチの仕方など、とても勉強になります。また、自分の考え方はこうだけれども、このように考える人もいるんだと、視野も広がります。そうして他のレッスンを受けているうちに気づいた事。私達の教え方は人とは結構違うということです。それはビジネス的には私達のセールスポイントでもあり、また同時に生徒の幅を狭める可能性もあると思います。
 
今回の生徒の中にも、以前リンディホップのレッスンを受けた事があるという人が何人かいました。彼らは、レッスンの仕方の違いをはっきり感じたようです。しかし幸いにも、彼らはこの私達の独特なレッスンをとても気に入ってくれたようでした。
前回同様、レッスンが終わった後も質問に来てくれたり、予定がある人を除いて全員が自発的に残って練習していました。これはインストラクターにとって目のほころぶ光景です。
 
(補足) 今回受けてくれた生徒さん達もフィードバックと共に、「彼らのクラスとしてBoot Camp パート2」をやって欲しいとリクエストをしてくれました。そして、 Boston Swing Central の新クラスBoot Camp Duex を教える事となりました。 受講してくれた方、リクエストしてくれた方、どうもありがとうございます!!




今日はひな祭り。私も部屋の片隅にある日本コーナーに、雛人形を飾りました。やっぱり日本のものって、良いですね~。和みます。
日本から持ってきた、桐の小物入れ達
 

そして叔母手作りの雛人形




今夜は先週に相方パパと約束をした、Hawthorn Hotelでのディナーです。相方ペアレンツを迎えに行き、車で約20分。Salemにあるホテルに着きました。週末で予約をしていなかったので多少不安だったのですが、時間がまだ早かった為、直ぐに座る事ができました。

前回きた時は肝っ玉が小さく写真を撮れなかったのですが、今回は他に撮っていた人もいたので、私達もパチリ。
相方ペアレンツ




カメラを向けると変な顔を。子供と一緒です。^^;
 
私達の隣の席では、既に食事を済ませ、良い感じでアルコールがまわっている人たちがいます。相方パパは、自分の席にあったフカフカクッションをそのうちの一人の人に、「ほーら、クッションが恋しいでしょ」と言って渡し、そこから2席間で会話が始まりました。この料理が美味しかったとか、彼らは(私達は)どういう関係のグループなのかとか、他愛もないジョークを言い合ったり。
さすがアメリカ人ですね。全く見ず知らずの人とも、完璧に会話が弾んでます。
 

相方と相方パパはHaddockと言うモンツキダラ (北大西洋産のタラの一種)、相方ママはBLTサンド、私は帆立の香草焼きを頼みました。この香草が、なんともたまらなかったです!!パン粉に様々なハーブと砕いたアーモンドが混ざってあり、それを大きな帆立の上にのせてオーブンでこんがりと焼いてあるのです。こうして書いていても、ヨダレが出てくる程です。



そうして食べている間に、隣のバンケットルームで結婚披露宴ダンスパーティーが始まりました!
私達も帰りにちょっと覗いたのですが(オープンルームとなっており部屋の中が見えるんです)、誰が花婿で誰が花嫁か分からないくらいドレスアップした人達で溢れています。日本人の披露宴とは違い、椅子はあるものの座っている人は殆どいません。若者にまぎれてご年配の方達も、キャーキャー笑いながら踊っていました。
 

結婚パーティーで幸せをお裾分けしてもらい、ふと見るとエレベーターの間に古いポストが。
きっとこのホテルが建ってから、ずっと使っているものだと思います。そして今でも使われているようです。とても素敵なポストでした。


帰りはドライブ感覚で帰りました。
このSalemは歴史的建築物が多く、1900年代前半や、1800年代に建てられた物が沢山あります。これらは法律で保護されており、解体や改築は禁止されています。その為、今この目で見ている建物は当時のままなのです。
この地域で育った相方ペアレンツは、どの建物が何年に建てられ、どの様な歴史をたどってきたのかを良く知っている為、ちょっとしたツアーを楽しませてもらいました。




Facebookを見る限り、東京は大雪に見舞われているようです。本当に、“大雪”みたいです。皆さん、気をつけてくださいね。
Swampscott でも昨日から雪が降り続け、沢山ではないですが積もりました。私がこっちに引っ越してから初めて積もった雪です。
うちの前の駐車場です


今年のボストンは例年にないかなりの暖冬らしく、引っ越してから約1ヶ月になりますが、本格的に雪が降ったのも初めて。気温がマイナスになった事も、今年は殆どないらしいです。
けれども、通常は平均で雪が膝くらいまで積もり、気温もマイナスになることは当たり前。平均気温は、たった0~‐5℃程だそうです。なんてたって、緯度は北海道と同じですからね。また、雪に慣れている住民なので、雪が積もっても普通にスピード出して運転しています。相方なんて、わざとスリップして私を怖がらせて楽しんでいました。 (`へ´#)
でも寒いのが苦手な私にとっては、今年が暖冬で良かった~。
 


今夜は Boston Swing Central で2回目のレッスンです。場所は前回と同じ、The Crosby Whistle Stop です。
前回は3時間レッスンでしたが、今日はイベント前に行われる1時間のレッスン。初心者レベルのクラスにも係わらず、パっと見で60人くらいは参加してくれていたと思います。前回のレッスンを受けてくれた人達もいて、嬉しい限りでした。
 

私達二人とも風邪を引き体調がよくなかったのでレッスン後は直ぐに返ろうと思っていたのですが、レッスンを受けてくれた生徒さん達から「レッスンがとても良かった」というコメントや、レッスンを見学していた人たちから「初心者には、そう言うことを説明してほしかったの。でもあまり言うインストラクターは居ないのよね。あなた達が言った時には、『イエス!』って思ったのよ」と言うようなコメントをいただき、また多くの人達から前から抱いていた思っていた疑問点などを質問され、会場を出れたのは、レッスンが終わってから2時間くらいたった後でした。

でも とても良いフィードバックをいただき、私達が教えているところを見て今まで抱いていた質問等をしてくれる人がいるって言う事は、私達の教え方を気に入ってくれたという事、または受講していない人が私達をインストラクターとして信じてくれているという事なので、満足、満足!おなかいっぱいの夜でした。




今日から3月です。日本では、ひな祭りがもう直ぐですね。
 
今日は、相方の高校へ行きました。
相方は高校時代 演劇部に所属していたらしく、その相方の後輩が、現在の演劇部でダンスの振り付け師をしているらしいのです。今日はそのダンスのオーディションがあるらしく、高校の恩師、その振り付け師の顔を見る為、そしてダンスミュージカルをするということなので何か手伝えないかと思い、高校へ行ってみました。
 
今夜は、こちらに来て初めて大粒の雪が降っています。相方の高校の駐車場やテニスコートも、雪で一面真っ白になっていました。
 
アメリカの高校生は、体格的には私よりもずっと大きく、大人びています。でも友達とはしゃいでお喋りしているところを見ると、まだまだ子供で、見ていてとても可愛かったです。


オーディションは、まず振り付け師の人がとても簡単なルーティーンをみせ、それを何回かみんなで練習します。その後、5人一組でそのルーティーンを踊り、その動きを見て役柄を決めるというものでした。
演劇部の生徒の中にはとても有名なダンススクールに通っている子もいるらしく、体の中にリズムが刻まれているなと思わせる子が何人かいました。相方も「まだ十代半ばなのに、こんなにリズム感があるのはすごいね。こういう子達にリンディを教えたら、直ぐにうまくなるだろうね」と、とても感心していました。

オーディションやミュージカルのダンス自体は、どちらかと言うとLock Dance(ロックダンス:今の若い子達の中で流行っているアイドルグループが踊っているようなもの)だったので、私達 スウィングインストラクターに仕事はないみたいです。
でもきゃぴきゃぴとはしゃぐ様子を見て、アメリカ高校生達の放課後生活を垣間見られたのは、貴重な体験でした。




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