今日は、先月「
絶品パンケーキ」にお供してくれた相方フレンドのコンサートを聴きに、Lexington(レキシントン)の街に行きました。
Lexington は Swampscott から西へ行った小さな町です。今では可愛らしい町並みがありますが、ここはアメリカ誕生の地と呼ばれているところです。それは、このLexington の地が、アメリカ独立戦争(「革命戦争(The Revolutionary War)」とも言います)の発端となったレキシントンの戦いがあった場所だからです。
東海岸の一部がまだイギリスの植民地だった頃、イギリスはオハイオ川流域のインディアンの領土を巡ってイギリスとフランスがこれを植民地とするため「フレンチ・インディアン戦争」の真っ只中。
この戦争が長年続いた事により、イギリスは財政危機に陥っていました。その為に
1764年 砂糖法(Sugar Act)
1765年 印紙法(Stamp Act)
1767年 ダウンゼント諸法(Townshend Acts)
などの課税を成立させ、植民地からの税収増を図ります。
これにより益々不満が高まった植民者は、独自にミニッツト・マンという平民組織を作りました。ミニット・マン(Minute Man)とは、1分間で戦闘体制に入れるよう訓練された 普段は農業に従事している植民地の ”農民兵の部隊” のことです。
1775年4月18日、イギリスのトーマス・ゲイジ将軍(Thomas Gage) の耳に植民者が武器を隠していると言う情報が入り、部隊を派遣しました。その頃、その派遣を知った植民者は、武器を移してミニット・マンを招集しました。
1775年4月19日、ジョン・パーカー大尉率いる77名のミニット・マンがバックマン広場で待機する中、イギリスのジョン・ピトケアン少佐率いる7000人の部隊が到着。パーカー大佐はミニット・マンに、「イギリスに対して抗議をしよう」とこちらからは戦う意思のない事を伝えています。その時の言葉が、今でも残っています。
「しっかり立っていろ。撃たれるまでは発砲するな・・・だが、奴らが戦争をしたいというのなら、ここで始めようじゃないか!(Stand your ground. Don’t fire unless fired upon, but if they mean to have a war let it begin here!)」
しかしどこからともなく一発の銃声が聞こえ、それに反応したイギリス軍が発砲し、両軍が交わります。これにより、数名の平民が命を落としました。
これが「1発の銃声が世界を変えた」と言われた『レキシントンの戦い』であり、後にアメリカ独立戦争へとつながっていきました。そしてこの歴史的事件が実際に起こったのが、このLexingtonの街なのです。
因みにこの始めの発砲は、イギリス軍はミニット・マンが撃ったと主張し、ミニット・マンはイギリス軍が撃ったと主張しており、物議は今でも続いているそうです。
ちょっと歴史のおさらいで寄り道しましたが、私達と相方フレンドは、
Daikanyama と言うレストランで早めの夕食をとりました。
LexingtonはSwampscottよりもアジア人人口が多く、道を歩いていてもアジア人を見かけます。とは言っても日本人は少なく、韓国人とカンボジア人が多いような感じはしましたが。
このDaikanyama、名前は日本の地名ですがオーナーは韓国人、そしてレストランには日本食+韓国料理+中国料理の全部がメニューにありました。因みに働いている人は、韓国人と中国人のみでした。
そしてこのレストランは、相方と相方フレンドが学生の頃からあったらしく、そう考えるともう20年近くも営業しているって事ですよね。不況で多くの店が閉店していく中、本当にあっぱれです。
相方フレンドは焼きうどんを注文し、私達は握りセットと石焼ビビンバをシェア。私的には、アメリカで食べるアジアン料理にしてみれば味は悪い方ではないと思いますが、なんせお寿司もビビンバも久しぶりだったので、お腹も満足してくれました。
食事を終え、私達は会場となる教会へ向かいました。
今日のコンサートはChurch Choir(教会の聖歌隊)で、相方フレンドはそのメンバーとして歌うのです。
実は相方も、相方ママがカトリック教な為に子供の頃から聖歌隊に所属しており、学生の時にはクラシック音楽の合唱団メンバーとしてヨーロッパツアーも行っていました。このフレンドは、その時からの友達です。
無宗教の私は、生で聖歌隊の歌を聴くのは生まれて初めて。
約90分のコンサートで、ただ「ジーザス」と「アーメン」を繰り返しているようにしか聞こえなかったのですが(キリスト教の方、本当にごめんなさい)、ソロを歌った相方フレンドのレベルは素人の私でも分かるくらい、格別に素晴らしいものでした。
それもそのはず、この友人はこれが職業なのです。教会で賛美歌を歌い、時には先生として聖歌・賛美歌を教えたり、ボイストレーニングをするのが仕事です。なかなか歌で生計を立てれる人は少ないので、これは本当に凄い事ですよね。
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